講議4  祭りについて

 秋になると、全国津々浦々で、いろいろな祭りが催される。

秋祭りは、もとをたどればたいがい、五穀豊穣を八百万の神々に祈ることだ

と思うが、まあ様々な祭りがあるものだと感心する。

熊本は八代出身で、八代には、独特の妙見祭というものがあった。その後、

博多に6年間住んだが、ここではかの有名な山傘があった。博多どんたく

もあり、全国から観光客が押し寄せ、それは賑やかなことである。

東京に移って以後の14年間はとんとご無沙汰だったが、マンション住民

主催の「はづき祭」というのがあり、団地内の住民による住民のための

こじんまりとした祭りがあった。そして、8年前からは長崎。ここでは、

「おくんち」である。元は旧暦の9日がなまったもののようで、今年は10月

7-9日に開催される。元々が、五穀豊穣を祈念するのが「祭り」で、よそ者

にはあまり関係なく、地元の人たちが執り行う祭りが有名になって観光客が

押し寄せるほどの人気を集めるモノも出るというところだろう。だからか、

私のように転々と移り住む人種には、あまり参加型ではないため、それこそ、

先の「はづき祭」が身近であるくらいで、馴染みがあまりない。山傘もくん

ちも、それなりに楽しくはあるのだが、今ひとつ「よそ者」感がつきまとう

のだ。長崎に住みながら「おくんち」の最中は交通渋滞などもあって、その

期間中に他所へ観光旅行に出かけることさえあった。住んでいる土地の悪口

になるようだが、良くなってもらいたいと思うがゆえに投書したりなどもし

てみたが、相手にもされなかった。露店の出店に、警察が関与しお金を集め

るとか、桟敷席の販売においては、天候の都合などで順延になっても一切払

い戻ししないなど、種々違和感というか、??と思えたのである。

流石に昨年あたりから、改善される点も出始めたが、まだまだ閉鎖的な感は

否めない。長崎新聞という、長崎を代表する新聞からして、「おくんち」の

桟敷席の件などで外野がうるさいが、自分達で楽しめば良い、といった社説

であった。これには閉口し、講読さえすぐに止めてしまったほどである。

どうも、長崎は、国際都市と標榜する割には閉鎖性というか昔の出島の名残

なのか、お上からのお達しや外国の情緒風情に頼り過ぎているところが多い

ように感じる。また、観光立県という割には、観光客が大事にされていない

と感じる。グラバー園横の東急ホテルの閉鎖も決まった。ハウステンボスは

佐世保にあり、観光客は長崎まで来ないまま、通過してしまっているのでは

ないか?しかし、そのハウステンボスでも赤字に苦しんでいるらしい。

いろいろ書いたが、これは何も「おくんち」だけの問題ではないだろう。

縷々と、埒もないことを書き連ねてしまったが、独りよがりな考え方は、全

ての面において、良い展望にはつながらないと思う。もって他山の石とした

いものである。えっ、上記の文が独りよがりな考え方( ¨)( ‥)( ..)( __)

様々な意見や考え方があると思います。ご意見は下記へどうぞ、、  2000.10月

  

社会学1へ

社会学2へ

社会学3へ

社会学5へ

社会学6へ

社会学14へ

Top-pageへ