社会学10「ニッポンの政治家および個人情報保護など、、」

 個人情報保護関連法案が03年4月25日、衆院特別委員会で可決された。自衛官募集をめぐる適齢者

情報収集問題が発覚し、「官に甘く民に厳しい」という法案の欠陥が改めて露呈する中での見切り採決。

表現・報道の自由を制約するとの懸念は今も消えていない。01年3月の国会提出から2年を経たこの日

の締めくくり審議でも、野党側から法案への疑問が相次いだ。 

 この日の政府答弁でも「メディア規制の意図はない」というこれまでの説明が繰り返された。しかし、

小泉純一郎首相はそうした答弁の間でも「虚偽報道がいかに多いことか」とメディア批判を忘れない。小

泉首相は個人情報保護法案を抜本的に見直すということを話していたが、残念ながら程遠い内容だった。

新法案は、フリーライターや著述業も義務規定の適用除外とするなど入り口は広く開けた。しかし、フリ

ーの主な執筆の場である雑誌を発行する出版社を明記しなかった。これでは、出口である発表の場が制約

を受けるので、何も変わっていないのと同じだ。抜本的な見直しとは言えない。自由に調べてよいが、発

表できないというのは、一種のペテンであり、ごまかしだ。雑誌と新聞を分断しようという作戦に違いな

い。官僚というのはまったく悪知恵を持っているものとほとほと感心する。

 また、政治家である主務大臣が(報道や著述かどうかを)判断するというのも問題だ。自分たちへの批

判を、自分たちで(適法かどうかを)判断できる仕組みはおかしい。政府は第三者機関の設置にはカネが

かかると言っているが、言論の自由の問題はカネと絡めるべきでない。無駄な組織はほかにいくらでもあ

るだろう。

 ノンフィクション作家らは「余りに拙速な審議だ。まだまだ議論は尽くされていない」「有事法案との

取引で個人情報保護法案の採決が決まったと聞くが、一番の犠牲者は国民の表現の自由だ」などと言って

いる。また、日本雑誌協会は、「言論・表現の自由を脅かす法案に反対し、抜本修正を求めてきた。報道

の定義、主務大臣の権限などいずれも十分な説明や審議もなく、解釈・運用しだいで政府が雑誌メディア

を規制する恐れを残しており、到底容認できない」とするコメントを発表した。

 小泉さんは国家、国民を思う信頼できる政治家だと初めは思った。しかし、スキャンダルを暴き立てら

れ、週刊誌にうらみを持つ有力者に首相にしてもらったことの私情から抜本的な見直しができなかったの

だとしたら国民への裏切り以外の何者でもない。加えて、経済音痴で、ニッポンの景気は浮揚するどころ

か、彼が首相になって以後、何百兆円が泡になって消えた。まだ首相で居られるのは、種々の国際的な事

件が相次ぎ、相対的に失政が希釈されているからに過ぎない。つくづく強運の宰相である。

 日本は、おおむね良い国だと思うが、昨今の政治家あるいは官僚の独善、一人歩きを見ていると、昔の

軍靴の足音さえ聞こえるような気がする。北朝鮮の国家テロに対して、外務大臣は「テロと、断じること

はできない」と言い、外務省は「特にこれといったことはない」旨のわずか14行のコメントを国連に提出

したが、阿部官房副長官が再提出を命じ渋々応じたという報道もあったが、これとて同様だ。日本には、

まともな政治家・官僚はもはやいないに等しいのかもしれない。わずかに、阿部官房副長官あるいは、中

山参与(拉致家族帰国の立て役者の一人で北朝鮮は国家テロだと、優しい声で断じた女性)くらいではな

かろうか。 国民にはこれほど強く傲慢に対するくせに、残念ながら、アメリカや中国および北朝鮮に対

してはポチなのだ。日本がおおむね良い国であるのは、民族としての日本人の勤勉さ、真面目さ、清潔さ

に起因するのであり、断じて政治家および官僚の優秀さから来るのではない! 選挙のたびに、名前の連

呼しかできない政治屋にまともな政治ができるとはとうてい思えない(-""-;)   2003.4.25

 

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