日本は政権末期の様相が濃い。先に行われた地方議会と政令指定都市の首長選挙においても、
既成政党に幻滅を感じる国民の声が顕著に示された。
選挙の結果に満足した大物と言えば、東京都知事として二期目を勝ち取った異端の国家主義者
とも呼ぶべき石原慎太郎氏だろう。一般大衆の支持を得た不屈の政治家として、石原氏は無党派
層の70%の票を勝ち取った。彼の注意深くかつあいまいな発言からは、いまだに国政に対する野
心が垣間見える。表舞台に登場する機会をうかがう他の政治家たちと同様、石原氏もまた、小泉
首相が完全に失墜することを、そしてできれば新たな金融危機の発生によって、小泉氏が辞任に
至ることを期待している。
この9月には自由民主党党首の、すなわち事実上日本の総理大臣の選挙が行われる。国際政治
の緊張と弱体化した財政基盤を考えれば、日本としての一体感を強めるためには、昔フランスが
シャルル・ド・ゴールを政治の中核に呼び戻したように、石原氏に対して政権を率いるよう実力者
達が説得を行うという可能性は否定できない。
石原氏が9月に自ら動きを見せるか、あるいはもう少し待って知事選挙で公約したように都庁をベ
ースに「今まで以上に過激にやる」ことになるか、いずれにせよ小泉首相は功績がほとんどないまま
歴史の落とし穴にはまって消えて行く可能性が日に日に高まっている。
小泉首相はこんな辞め方をするはずではなかった。2001年4月に彼が首相に就任した時は、新鮮
な息吹として歓迎された。構造改革政策は各方面で称賛され、特に米国政府からは、日本の諸問
題がようやく真剣に採り上げられる最初の機会であると期待された。しかし残念なことに、日本の
改革主義者と外国の支持者達は日本の病状を誤って診断し、経済回復の可能性についてあまりにも
楽観的になってしまっていた。彼の構造改革というのは、1930年代型の問題に対して1980年代型
の解決策を適用したものだった。前代未聞の資産価値の崩壊の後であるにもかかわらず、政府は公
共事業の削減や、隠れた増税によって公的需要を圧迫する政策を採った。その間、金融政策は
矛盾しかつ保守的であり、富士山にも喩えられる規模の不良債権の山につぶされた金融機関の
救済策は全く採られなかった。
その結果、市場は中毒症状に陥った。株価は小泉首相が就任した時に既に重症であったが、
その後更に45%も下落し、ブレジネフがクレムリンにいたころの水準にまで落ち込んでしまった。
もっと驚くのは、市場金利が十年物国債の利回りで0.65%という史上最低水準にあることである。
それにもかかわらず悲観論が充満し、企業は資金調達よりは債務の返済に汲々としている。
この春、日銀総裁人事という政策の転換を図る機会を得た小泉首相は、しかしそれを台無しにして
しまった。新しい総裁には積極派の人材を投入すべきであったにもかかわらず、結局任命された
のは過去15年間にわたる失政の一端を担った金融官僚だった。政府には、景気回復を企画遂行
する能力が全く欠落していることが、ここへ来てあらためて明らかになった。
政権内での責任と協調体制の崩壊も著しく進み、先には閣僚が他の閣僚を公に嘘つき呼ばわり
する醜態を見せた。小泉首相の唯一の取り柄であるクリーンなイメージさえも、密室の駆け引きの
末、ようやく更迭されたある閣僚の汚職容疑で汚されてしまった。
第二次世界大戦がトラウマになっている今の日本では、軍国主義が復活することはないかもしれ
ない。しかし良識と国際的センスを有するはずとされた専門家および国民の支持を受けた小泉政策
が破綻するという現象は、大きな転換点になる可能性があるのではないか。また、早く転換しても
らわないと、このままではニッポンは持たない。しかし、次の政権はいったい誰が?どこが?
それと、相変わらずの小泉首相の支持率の高さが不可解だ。自民党の支持率は下がり、首相の支持
率のみが、受け皿がないという消極的な支持ではあるが、ひとり高い? 冒頭に述べた、石原氏の
復権か(怖さを秘めた人格ではあるが)、あるいはこのまま地獄を見続けることになるのか?
9月が第一のステップとなることを切に期待するものである。 2003.5.14