長崎は、昔からの観光都市として、戦後一貫して観光客が増えてきたが、バブル崩壊とともに不振が続いてきた。こうした現状を打開するため、2006年(平成18年)に大型のイベントを行う構想を打出し、2003年春に「長崎市観光2006アクションプラン策定委員会」を発足した。
具体的な検討は、下部組織として「ワーキングチーム」を設置し、市民9名と事務局(観光課)が行った。事務局には現在の長崎市長である田上氏が主幹として参加し、何回かのブレーンストーミングを経て「まち歩き」を基本にすることが方向付けられた。
当時の長崎では、修学旅行生を案内するボランティアガイドは存在したが、歴史を教科書的に説明するスタイルだった。この延長線上で拡大しては、歴史マニアには喜ばれるが、「普通の観光客」には退屈な思いが残る可能性が高く、新しいガイドが必要だった。
こうした問題意識で参考になったのが、別府温泉のまち歩きだった。何でもない路地裏を歩いたり、流しの歌手に連れられて夜の酒場を歩いたりと、大人の観光客が満足するのではないかとの結論に達し、実際に別府まで出向いた。こうした活動の中心であったホテルの若きオーナー鶴田さん(観光カリスマの一人)をはじめ、熱心に取組んでいる人たちから話を聞き、実際に路地裏を歩いて、「これでやろう!」との結論になった。
方針が固まると、検討が一気に進み、11月には中間提言を提出した。
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しかし、ワーキングチームのメンバーは、大型のイベントを取り仕切った経験はなく、これを実現に導くには専門家のアドバイスが必要だった。もっとも、これまでのパビリオン中心の博覧会ではないので、専門家といっても多くはない。オープン型の博覧会を調べてみると、熊野博覧会などに関与した茶谷氏が浮かび上がり、早速アドバイスを求めることにした。
12月19日に茶谷氏を招き、オープン型の博覧会の経験を尋ね、質問攻めにした。その議論を通じ、実行に移すプロセスが分かり始め、メンバー一同、これなら行けるとの思いが強くなっていった。こうした検討を経て、2004年2月には「長崎市観光2006アクションプラン」は正式に策定された。
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