ヒトの能力に大差はない!

 子供の頃、三人兄弟の末っ子に産まれ、常に上と比較されながら、小学・中学・高校、そして大学と

進んだ。先生からは「今度のはあまりできんな!」などという、屈辱的な言葉を浴び、親からは大した

期待もされない末っ子として育っていった。上の二人は、少なくとも、中学までは優等生。かたや私は、

野原を駆け回る自然児のような有様。勉強など、小学校までまともにはしたことが無かったように思う

(自分の机も持たなかったしね、、)。でも流石に、中学以降、先の言葉あるいはもっと過激な言葉を

掛けられながら(今だったら大問題だろうね)育ってくると「俺だって、このやろう、」と思った。でも

そうは思っても一番上の兄貴は体育以外は全部「5」であり、全校でもトップの成績。かたや私は、2と

か3とか、、、そういう兄貴を持った弟の悲哀、でも、少しずつ、ホントに少しずつ努力の成果は出た。

一気にはなかなか出ないからね、こういうモノは。で、高校の半ばには、やっとその兄貴の成績に並び、

そして抜く日さえもきたのだ。断っておくが、これは自慢でもなんでもない。努力は報われるということ

を言いたいのである。社会では、努力が報われないことも多々あるが、だからといって、何もしなけれ

ば、やはり何も産まれはしないし、生産的な未来も開けない。陳腐ではあるが、「石の上にも三年」

あるいは、「Adventure in attitude」である。要は、自分は何をしたいのか?であろう。それがわか

ったら、後はやることは自明である。ダメだと思った時から下降が始まると思う。やる!と思ったとき

から、少なくとも上昇気運なのだ。

 加えて、他者と比較することは止めた方が良い。彼は、彼女はどこそこの大学へ行ったから頭が良い

だの、誰々と比べれば自分なんて、、、等々。結局、自分はごまかせないはず。要は、自分が「やるだ

けやった」と思えたのかどうかだろう。能力がないからとか、何々が邪魔した、、百害あって一利もな

い。 出身学校に貴賤はない。一念発起するに年齢もない。やる!と思ったときから始まるのだ。

昔の専攻科時代から数えれば、教え子を他大学・大学院に送り出すこと10名以上。遠くは、ワシントン

州立大学博士課程、長大大学院、佐賀大大学院、静岡大、東京農工大、などなど、、、 上昇志向さえ

あれば、受け入れる大学であれば大抵のところへは行けるモノだ。でも、どこへ行っても、その大学に

差がある訳ではなく、ただ、そこでやりたいことがあるからと思うべきであろうし、事実そうだと思う。

 何やら、卒業の餞の言葉のようになってしまったが、各位、、頑張れ(^o^)/~~~~~    2002.7.6

  

 下記は、最近来た卒業生(管理栄養士)のメール。現役学生諸君!大いに発憤して欲しい、、、

ご無沙汰しています。突然なんですが、今月1日付で国立○○長崎病院に勤務することになりました。

これからの国立病院・療養所は独立行政法人となりどのようになっていくのかわかりませんが、今は私

にとってこの職場はとても良いところだと思っています。今までの職場と違い、指導してくれる栄養士

がいて(かなり尊敬できる栄養士です)とても勉強になることばかりです。民間の病院とは違い、病棟

でする仕事が多くて、ドクターと対等に話せるように日々勉強です。大変ですが、とても充実していま

す。もう職場を変わる事はないと思います、転勤はあるんですけどね。また、何かあったらメールしま

す。

  

今時の高校生、、、

 今日から、次女は勉強合宿でホテルに一週間缶詰。終了日から、同じホテルで長女が合宿開始。昨日も

書いたが、いまどきの高校生はなかなか大変だ。昔とは大違い。こういった大変さを見ると、如何に健康

生活学部が大変といっても、夏休みはあるし、土曜の講義や補講も基本的にはない。ただ、判らないのは

勉強計画書?というやつを長女も次女も書かせられていること。こういったことを見るにつけ、今の高校

生は、過保護と言うか信用されてないのかな? 昔、自分の高校時代、特に三年生の時には、勉強合宿も

ないし補講もなかったが、一日に真剣に7時間は勉強していた記憶がある。元々、そんなに賢い方ではな

いから、そのくらいやらないとだめだったのだ。 いつも学生には言っているが、勉強とは孤独な作業で

あるべきで、「わいわいがやがや」やって身につくとは思えない。まあ、時代の違いかもしれないが、

いまどきの高校生は?また大学生は?とも思うのである。                2002.7.29

  

 高校の娘達には、夏休みはないようだ(・・) 土日もなく、補習補習である。それも、朝一番から

夕方まで。加えて長女は、体育祭の実行委員を志願したため、帰宅は連日夜8-9時になっている。盆の

わずかな休みだけだな、、、次女に言わせれば、どうせ家に居てもごろごろするだけだから、学校で、

涼しいところで勉強した方が良い、とか(@_@) 今年から、エアコン完備の教室で(負担は親だが)

やっているらしいが。しかし、今時の子供は大変だな。私の高校時代は、夏休みは完全に休みだった。

自宅でやるヤツとやらないヤツの学力差が開くのがこの時期でもあり、実は休み明けが楽しみでもあっ

たりもしたが(笑)  ヒトには、メリハリが必要だと思うけどねえ(-_-;)        2002.7.28

  

 植物の葉は、光合成によって空中の二酸化炭素を固定して、有機物である、セルロースやデンプンを

創る、、高校の生物で習うことだ(笑) しかし、これをどのくらいのヒトが実感として持っているだ

ろう? 地球上の有機物の大半はセルロース。この有効利用ができたら、食糧危機など一発解決だ。

いや、そういうことではなく、それも大変なことだが、言いたいのは、一枚いちまいの有機物製造工場

である葉っぱや木々をあまりに粗末にしていないだろうか?ということ。せっかく空中の二酸化炭素を

固定してくれたのに、あまりに安易に燃やしていないだろうか?石油だからとか、石炭とて元をたどれ

ば植物の葉の光合成に依るのだ。プラスチックも然り、、、ダイオキシンだの、地球の温暖化などと

いった問題も、元をたどれば、一枚いちまいの有機物製造工場を粗末にしたつけではないか。

たまには、天下国家・地球のことも考えてみませんか??               2002.7.23

  

 また高校訪問で、熊本へ行って来た。二回目。時に、進学校といわれる高校へ行くと、県外のそれも

活水へは行くヒトは?、、などととんでもないことを言われる進路指導の方がおられる*〜* 国公立へ

の進学率が至上という発想だろうが、偏差値しか頭にないのだ。そんな考えで進路指導をされたら、

学生はかわいそうだと思う。確かに、私学はお金も高いし、九州内の私学の偏差値が高いとは言えない

とは思う。しかし、大学および学生の価値は偏差値にしかないという発想は貧困そのモノ。私は国立を

出たが、私立出の友人も数多い。国公立が優位とは決して思わない。加えて、大学出が優れているとも、

全く思わない。何度も言うし書くが、要は「何を思い、実践しているか?」である。

 泊まったのは八代の某ホテル。せっかくだから、中学の頃の恩師へ近況報告へ伺った。すでに、退職

された方だが、非常に苦労の多い先生で、今は全盲である。当時も、相当な弱視だったが、20年ほど前

に、完全に失明された。奥様にも非常に辛苦の過去があったことは今回初めて伺った。そういう先生だ

から、ヒトの心の卑しさや痛みなどが手に取るようにわかる方だ。「先生とはかくあるべし」という、

見本のような先生だと思う。密かに、「自分も、、」と思っているのである。   

ちなみに、泊まった某ホテルの総料理長かつ副支配人を務めているのは、中学の頃の同級生だった。

中学の頃は野球しかしていなかった腕白少年だった彼である、、、            2002.7.18

  

 携帯電話のマナーについて、今朝の西日本新聞に投書してあった。全く同感! 現在進行形で人と

話している最中に、メールや電話がかかってきたら、、貴女はどうしますか? まさか、相手を無視

して、携帯電話に飛びついて長々と話したりメールしたりしていないだろうね(@_@) もし、そうして

いるならば、これは相手に大変失礼なことだ。電話では相手の状態は全く判らない。どういったシチュ

エーションにいるか判らない訳だが、話している相手は、まさに目の前に居るのだ。ならば当然、目の

前の相手を大事にすべきだろう。加えて、相手が運転中などであるかもしれない。こういったことを考

えるのがエチケット、大人の態度というモノだと思う。TPOというモノは、案外大事なことだ。気にし

ていなかったヒト、、気をつけましょう!                      2002.7.12

  

 今年の父母会も終わったヽ(´o`;)ノ いや、これは私にとってであって、学長達はもう一回土日が

つぶれる、、致し方ないが、結構疲れるのだ(+_×) 早朝に集合して、帰ってくるのは次の日の夜中に

近い。 それでも、父母の方達の声を聞くことは、あるいは近況をお知らせすることは、重要なことと

思う。 泊まりの夜は、20年ぶりに会う旧友との一献(∩.∩) やはり、遠隔地に行く楽しみの一つは

これもある。各地に高校あるいは大学の旧友がいるので、会えば一気に大学時代にワープし、同じアパ

ートに住んでいた頃のこと、あるいは昔つきあっていたGFのこと、、、そして帰ってくると(鹿児島

は残念ながら父母の参加者がなく熊本のみ)教え子(今、長大大学院修士課程2年)の父母がやられて

いる調理師学校の30周年および新築式典への参加。こういった式典には出席したことがなかったので、

とまどったが、なんとも豪勢なモノ( ¨)( ‥)( ..)( __) 教え子だけに、またそこには別の教え子が就職

もしているだけに、行けばこれも何やら邂逅の場(∩.∩) 四條流の包丁儀式という珍しい催しもあっ

たりして、デジカメも撮ってきた。下の写真は、その模様。昨日のことだが、デジカメの速攻性をいか

んなく発揮しているかな。                              2002.7.1

  教え子達と池田さん  

  

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