ながさき総合型スポーツ倶楽部
「 遊 連 」 Since April,4 2007
長崎トライアスロンクラブ
チーム・ルーナ
平成23年12月17日18日 長 崎 街 道 さ る く s最終ステージ1日目 17日 |
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久山の茶屋跡の井戸 坂本竜馬も飲んだ茶屋跡 |
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井樋ノ尾峠付近 | |
峠茶屋跡碑・郡境碑峠茶屋跡碑と郡境碑が建つ井樋ノ尾峠。 「高来郡久山」と「彼杵郡喜々津」の境 |
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御駕籠立場跡御駕籠立場跡。 ここで長崎奉行や大名の行列が休息した場所。 |
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領境石いよいよ長崎市に入ります。多良見町との境界に |
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休息タイム コンビニでコーヒータイム。 |
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八郎川 古賀の八郎川付近で、長崎から小倉に長崎街 道を北上しているグループと遭遇。 |
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矢上番所跡番所橋の近くにある矢上番所跡。 役人が往来者の取締まりや警備にあたった。 |
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長 崎 街 道 さ る く 最終ステージ2日目 18日 |
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矢上番所橋 | |
領境石 団地建設により現在地に移設されている。 石柱には、日見側(裏側)に「彼杵郡之内日見境」と矢上側 (正面)に「従是北佐賀領」とある。 |
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日見宿 日見宿を過ぎて日見峠に向かう途中 (紅葉がとても綺麗でした。) |
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芒塚句碑(三基) 向井去来(1651〜1704)(蕉門十哲の一人)の句碑で、天明 4年(1784)に長崎の俳人達が建立した。 中央の去来句碑は、去来が長崎を離れるとき、ここまで見送り に来た人達に詠んだもので、、「君が手もまじるなるべし花薄」 と刻まれている。 左側の碑は漢詩の碑で去来の紹介や漢詩が、右側の碑は献 句で去来を顕彰して安政8年(1856)に建てたものである。 県指定有形文化財である。 |
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日見峠 明治新道
明治になって峠頂上部を切通した新道【写真左】が これは日本初の有料道路となった。ここから、日見 |
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蛍茶屋跡 文化文政(1804〜1829)の頃、甲斐田市左衛門によって 茶屋が営まれはじめた。この地は蛍の名所であったため、 蛍茶屋と呼ばれた。 |
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蛍茶屋付近 |