ながさき総合型スポーツ倶楽部

         「 遊 連 」
       Since April,4 2007

長崎トライアスロンクラブ
チーム・ルーナ

平成23年4月16・17日


  長崎街道さるく
 第1ステージ  1日目    小倉宿〜黒崎宿


  16日                          遊連  3名  佐世保 2名 赤兎馬 4名    
 常盤橋

16日小倉駅近くの長崎街道出発地 常盤橋を  


 10時20分頃出発
  日
  
   水かけ地蔵尊


遠く万葉の時代から霊水が湧き出で、皇后水、観音霊水、

弘法の水などといわれ、街道を通る数多の人が駒を止め、

しばし憩いの場としたところである。
 茶屋町橋梁

市指定史跡「九州鉄道茶屋町橋梁」といい、明治24年4月

に開通した九州鉄道大蔵線の施設である。


 荒生田の一里塚 
三条の国境石
この地域は東西に豊前国と筑前国に分ける国境で、紛争多

発地域であったため、江戸中期に小倉藩と福岡藩によって多

くの境石が建てられた。
 
この境石は福岡藩によって建てられたもので、「従是西肥前

国」と刻銘されており、天保5年(1834)同藩最大規模の境

石であるとともに、当時の位置に残る貴重な資料である。 
 前田の一里塚

 黒崎宿付近  

 常盤橋から約13kの道のりでした

 近くのホテルに16時頃到
 
長崎街道さるく
 第1ステージ  2日目   黒崎宿〜直方宿
 
 17日                        遊連 3名 佐世保 2名 赤兎馬 5名
 17日ホテルを8時30分出発

 
曲里の松並木

この松並木は江戸幕府が全国の街道に松や杉を植樹させた

名残で、日光の杉並木(日光街道)、安中の杉並木(中仙道)、

さらに箱根の杉並木(東海道)はその代表的なものである。昭

和20年頃まで黒崎から木屋瀬にかけて街道には多くの松を残

していたが、今は僅かにこの辺りが昔日の面影を留めているだ

けである。市指定史跡として幅20から30m、長さ約310mの

地域が旧長崎街道緑地として整備されている。


 場茶屋銀杏屋(北九州市指定文化財)

銀杏屋は江戸時代に九州で唯一の脇街道であった長崎街

道の黒崎宿と木屋瀬宿の間の「立場茶屋」として、参勤交代

の諸大名をはじめ、長崎奉行、巡見使などが休憩したところ

である。 主屋は天保7年(1836)10月2日の火災による焼

失後に建てられたもので、庭の銀杏の大木には、今もこの火

災の焼け跡が残っている。 銀杏屋は長崎街道に残る「上段

の間」を持つ唯一の立場茶屋の遺構として、近世交通史を考

える上で重要であるとともに建築年次が明確で質の高い主屋

は近世の町屋建築を考える上で貴重なものである。
石坂の急坂

江戸時代、この地は長崎街道の黒崎宿と木屋瀬宿の間にある

難所であった。

下石坂への道は現在階段になっているが、急坂が残っている。

黒崎方面からの地形は現在その面影を知ることも出来ないが、

かっては、小嶺インターチェンジ付近から山を登り、頂上から「ア

ケ坂」という急坂を下り、さらには、「中の谷」の谷底から上石坂の

急坂を登るという難所であった。このため大名でさえも駕籠を降り

て歩いたといわれている。

この坂の頂上には諸大名や長崎奉行などが休憩した「立場茶屋

銀杏屋」があり、その周辺には茶屋があった。
 木屋瀬宿付近のあかりの民藝館
 直方宿付近の河原
 直方宿 多賀神社 14時頃ゴール

 約16kの行程でした