年末にも危篤だったが、持ち直したのでそうそう熊本に居るわけ
にもゆかず。逝った、という連絡を受けて10日に再度帰った。
1月10日午後3時44分
これで、両親がいなくなった。多分泣かないだろうと思ったが
やはり泣いた。両親が居なくなった、というのが大きかった。
兄姉弟の三人とその家族はいるから、あとはこういった家族で
仲良くしてゆくことが供養にもなるだろう、と今は思い始めて
いるところ。離れて住んでいるから、生家も、住むヒトが居なく
なり、どうなるか?
ヒトはいずれ死ぬが、死に方というものまで考えさせられた。
年は78歳。この年齢の男としては平均寿命は越しているから、
大はつかないが、往生といっていいかもしれない。
死後のこともしっかり定めて死んだことは立派。葬式のことから
一切合切すべて指示してあった。ボケ症状は出ていたものの、
指示の日付は昨年の8月。そのころはまだまだ大正男健在!の頃。
ヒトにもうるさかったが、それだけのことを自分がやっているから、
ヒトへの注文もうるさかったのだと、今やっと改めて思っている。
人生は一人ではとっても辛い。私には、今までも今後も守る家族が
いる。人生には、やはり何らかの伴侶が必要だと思う(@_@)
しかし、通夜から告別式、精進落とし、そして初七日。
今後も、四十九日から一周忌へと続いて行く。セレモニーが
いかにも長い。 生きている人間がどうかなりそうに大変。
両親の葬儀を経験して、なんでこうなの?と思わざるを得ない。
残るのは、家内の両親。こちらはさらに高齢。近いうちに長崎に
きてもらわねばなるまい。熊本を離れるのは辛いだろうが、
事態は切迫してきつつある。