先日の四半世紀ぶりの電子メールにまた返信が来て、故郷のことがたくさん
書いてあった。いいものだ、電子メールは。恩師のことや、かつての友人
の消息etc. 一挙にタイムワープしたような気になってしまった。
数十年後には、あるいは、十数年後には、ごく一般に使われると思う。
何やら確信めいたものも感じる。電話やファックスよりも断然便利な部分
が多いから。ただ、プロバイダーにはもっとしっかりしてもらわないと、
一般化は困難だろう。
年に一度の年賀状は、生きてるよ!の挨拶状と心得ている。
だから、そんなに増やしもしないが、減りもしない。今で大体
120枚くらいか。自分の歳では普通か。普通でも少なくても関係ない。
それだけの数が、要は今必要と感じてるだけ。だから、不要な人には
一切出さない。例えば、職場での偉い人とか政治家とか
妙な義理だけの人とか、その他、必要を認めない人などなど。
電子メールを交換してる人にも出さない。
でも電子年賀状は、出している。景品があたるかもしれないから!
教え子が今、ワシントンの大学に留学してて、先日メールがきた。
こういったメールは本当にうれしいものだ。元気でやってるようで、
めでたい。 電話だと、なかなかこうはゆかない。
電子メールの威力が段々発揮されてきたようである。
我が校から留学!は英文科以外では最初で最後かもしれない。その子が
といっても、すでにもう何歳かな、25歳かな? 在学中は、決して目立った
学生ではなかったことを思えば、本当に大学と社会での活躍はパラレル
ではないのだと痛感する(一度社会へ出て、管理栄養士を取得した上で
さらに上の資格獲得をめざして留学したもの)。大学で教えていて
何となく虚しささえ覚える。だが、こうして忘れずに近況を海外から
送ってくれる。やはり、教師冥利である。
自分でも思うが、大学で学ぶことは、勉強の仕方、スタンスを吸収すること
だと思う。私も、大学で学んだことの数倍以上を社会で学んだし、でも
その基本部分は大学での6年にあったようにも思う。ま、とにかくは、自分で
やる気にならなければ、何をやってもだめであろう。