産・不詳事件など概ね暗い一年だったが、自分の一年を
振り返ってもあまり芳しくはなかった。大学教師として
ヨーロッパ研修へ学生の引率に行く直前に実母のガン宣
告があり、不安の中研修は何とか無事に終えたが、帰国
間もなく母を見とることとなった。長年福祉にたずさわ
って人の世話こそすれ、何も悪いことはしていない母の
ガン宣告からわずか四ヵ月後の六七歳の死であった。東
京の会社から長崎の大学へ転職して三年目、家も建てさ
てこれから親孝行だと思う矢先の訃報はあまりに悲しく
何か体の心棒が失われた思いすらしている。思えば今年
は大厄、中年太りが始まり白髪も増えたが、よもや厄が
この様な形で自分を襲うとは予想だにしなかった。慌た
だしく葬儀から法要を重ねてくるうちに一年がもう終わ
ろうとしている。 世間では、子供のイジメや自殺が相
変わらずである。私にも三人の子供がいるが、親をみと
ることができたということで、子供に先立たれる不幸を
考えればこれは自然なことだと今は思っている。今後は
この三人の子供と大学の教え子たちに、母親が自分に注
いでくれた愛情のお返しができればと考えている。
1995.12.16 長崎新聞掲載