荷物の移転が終わった(^_^;;) なかなか良い部屋だ♪♪ 本人はどう思ってるか知らないが、今は良
いね、ここまで準備してあげて良いのか?とさえ思うが、これも時代か。私の30年前、ボストンバッグ
一つだけの引越しだった。同じ大学だったため、兄貴の部屋をそのままもらったということもあるが、
部屋にあったのは、机と本棚くらい、、それにひきかえ、娘に買ってあげたのは、冷蔵庫・洗濯機・テレ
ビデオ・コンポ・オーブンレンジ、ノートパソコン、プリンター等等、、買いすぎだな(-_-;) ロフト付
の、しゃれたアパートの部屋は羨ましいくらいだ(笑) 日本も豊かになったものだと、妙なところで感
心してしまう。 2003.3.30
時々行くのだが、稲佐山のとあるホテルへ、家族(といっても娘達はいつも近場のホテルは敬遠、、)
で泊まって来た。以前は、野母崎のホテルへ良く行っていたが、稲佐山のホテルの夜景の美しさに脱帽し
て以降は野母崎へは行ってない。そこで今回、面白い光景に出くわした。泊まったのは10階だが、その窓
の外ではトンビが群を成して飛び回っている。従業員に聞けば、誰かがエサをやって以後、エサに期待し
て飛び回るらしい。もちろん、我々もやった(^◇^;) カモメにはエサをやったことが数回あるが、トン
ビは始めて。その雄大な姿にはこれまた脱帽m(..)m なかなかシャッターチャンスがつかめなかったが、
数枚撮れたのでアップしてみる。飛び方が、なかなか格好良いね♪♪ 2003.3.27
姪に長男が誕生した。爽一郎と命名したらしい。つまり、姉はおばあちゃんになった訳だが、「ミイマ
マ」と呼ばせるらしい(笑) 姪にはまだ母としての実感もやるべきこともわからないようで、姉が嬉々
として手伝っているようだ。三週間早い出産で2800gだったとか(・・)大柄な姪らしい出産と思った次第。
姪は28歳。我が娘に孫が生まれる日はさて??? 2003.3.23
娘のアパートの契約を昨日済ませた。約束とはいえ、お金がかかる^_^; 近所の友人が同じ大学で、家
から通うとか、、まあ、普通はそうだろうね。でも、本人はルンルンで、毎日バイトに精を出している。
また、同じアパートには、同大学の大学院に進む教え子が入居するのである。ひょんなことから、私が紹
介したような形になったが、二人にとってはどうなのかな(笑) かたやは教え子、一方は娘、、、一部
屋置いて隣同士。私は結構顔を出す予定だし、妻はしょっちゅう行くのではないか? いろいろと大変に
なるかもしれないよ、中村さん(^_^;;) 2003.3.21
いよいよ、対イラク戦争が始まるようだ(-_-;) 日本は、アメリカに対して「ポチ」だから、全てが言
いなり(-""-;) 憲法9条があって、戦争を放棄しているにも関わらず、世界屈指の戦力を保有している
が、これがまた憲法9条の制約で、絵に描いた餅のような、張子の虎状態。壮大な国費の無駄遣い以外の
何者でもない。安保条約に頼っているが、この条約のみでどこまで日本を守ってくれるか、極めて疑問。
米国の基地が日本にはどこそこにあるが、そこの軍を守るためには躍起になるだろうが、日本をだけ守っ
てくれると思ったら、壮大な勘違いだろう。でも、憲法9条の制約と対北朝鮮問題があるので、「ポチ」
になるしかないのも現実、、、こういったことを国会では一切言わず「雰囲気で態度を決める」だの、
「仮定の質問には答えられない」と言いつつ、莫大な対イラク戦争の予算を計上している。全て、そうす
るしかないのだから堂々と説明すればいいものを、言葉を濁すから、ひたすら尾を振る「ポチ」でしかな
いのだ。尻尾を振るだけでは、国際社会は日本には何も期待しなくなる。お金だけ出せと言うのである。
現にそうなっているではないか。湾岸戦争時には、声明を出すのが遅れに遅れたたため、他国の何倍もの
莫大な戦費を払ったにも関わらず、国際社会では日本の名前など出なかったし、また、円とドルの為替差
損をすら考えず、差損で膨れ上がった莫大な戦費を払わせられたではないか。その反省、責任はどこへや
ら?今回はさていくら要求されることになるのか、、、 20030.3.18
今年は、本当に雨が多い(-_-;) 10年前、活水に赴任した年が雨の多い年で「長崎は今日も雨だった」
は本当であると、妙に感心した記憶がある。新居を構える前の仮住まいで、エアコンも除湿機も購入予定
がなかったのだが、あわててどちらも買って、壁に繁殖しつつあったカビを防いだものだが、今年もどう
やらその年と同じような感じ。 10年前、皆さんはどこで何をしていましたか?陳腐だが、光陰矢の如し
である。あのときの小学3年と1年の娘たちがそれぞれ大学生と高校生、よちよち歩きだった末っ子が、
4月から中学生だ。私が年を取り、白髪が増え後退するのも当然だ(笑) 2003.3.16
卒業関係の行事が一通り終わった。次は、フレッシュな新人を待つのみ。年中行事だが、年々少子化の
波が大きくうねりを加えて襲ってくる。戦々恐々である(-_-;) 健康生活学部食生活健康学科のみは、悠
々と定員を確保し、「落とす試験」を継続しているが、他学科にも頑張ってもらわないと、、、 娘のバ
イトも佳境に入り、毎日のように通勤!しているが時給が安い(^_^;;) あれでは、一ヶ月働いても大し
た収入にはならないね^〜^ でも、良い社会勉強だろう。浜屋一階のアンデルセンだ。閲覧者の皆様、
売り上げにご協力をm(..)m 2003.3.14
長女が高校を卒業して、ただちにバイトを始めた(・・) また、卒業式直後に茶髪にし、パーマをか
けている、、、高校で、かなり「容儀検査」が厳しかったようで、その反動は相当に大きい。私の目には
茶髪までは似合っているように見えたが、パーマは、何やらモップのような、、本人に言ったら「ひどー
ーーい」だが、ジェネレーションギャップはかように大きい。バイト先では、私の教え子が居たようで、
世話にもなっているようだ。三浦さん、よろしくねm(..)m 4月からは一人暮らし。いろいろ経験してゆ
くだろう。自宅から通えなくはないが、この経験は大きいと思う。自分自身が、18歳のころより結婚す
る29歳まで一人暮らしだったが、大変良い経験であったと思うから、子供にもさせるのである。幸い、
すぐに行けるし、帰れる距離。親子双方にとって、貴重な経験になるのではないか。 2003.3.7
義母の死去から4日経過した。ヒトが死ぬと、日本は諸般の手続き、仏事があるので、残った人間は大
変な業務・労働・金銭を強いられる。こういった仏事には、非常に疑問を持っている。葬祭屋のやり方も
疑問、、、などと、言っては死者への冒涜だろうか? そうではあるまい。要は、心の問題であるはず。
昔むかし、皆が近くに居て大家族であった時代には通用しても、現代にはとうてい通用する風習とは思え
ない。少なくとも、私が死ぬときには、こういった仏事は不要!と子供に言うつもりである。 通夜、告
別式、初七日、四十九日、初盆、一周忌、三回忌、、、、、坊さんに言わせると、これでもかなり簡素化
したもので、本来は、この倍くらいあるという。冗談ではない!という感じである。私の両親の場合は、
かなり真面目に行ったが、今回は、諸般の事情で、少し簡素化せざるを得ない。でも心の中では、精一杯
供養してゆくのである。残された病弱な90歳の義父をしっかり見てゆくということもある。 とはいえ、
関係の方々には種々ご迷惑をおかけし、配慮を頂いた。とりあえず、ここで感謝の気持ちを表します。
数々のご配慮、ありがとうございましたm(..)m
外では、春の使者が次々に咲き始めている。 2003.3.2