二度目の産後介助をしていた家内を迎えに太宰府に行った。例によって、ちょっと散策。
今回は鬼滅の刃で有名になった宝満宮竈門神社。半世紀近く前、6年の学生生活を終える
記念登山ということで友人3人で登った宝満登拝道。宝満山から降りて来る場所が竈門
神社だ。砥石山,若杉山,宝満山で写った写真は残っていたが三郡山という写真はない。
三郡縦走したのは確かだし砥石山若杉山を通るルート上に三郡山があるから山頂名の
ない写真が三郡山なのだろう。調べてみたら少なくとも19kmの縦走!でもそれほど
難儀した記憶はない。若かったね〜♪当時は地理に疎くほぼ興味もなかったのでうろ
覚えだけれど何となく懐かしく登山口辺りを歩き廻ってきた。 20221026
竈門神社
宝満登拝道口
式部稲荷
式部稲荷奥の院
一部紅葉
45年前
次女の出産に伴って、いろいろあって家内を迎えに福岡に行った。例によって、ちょ
っと時間を設けて標記の街歩きを行ってきた。
観世音寺は、斉明天皇の追善のため天智天皇の発願で建立された寺院。伽藍を示す礎石
等が残り古代の繁栄を示している。鑑真・空海も滞在し、授戒もこの寺で初めて行われ
たとされ、天下の三戒壇の一つで、仏教文化が継続して伝わっていたことを示しており、
現在も同地で観世音寺(金堂、講堂は県有形文化財)・戒壇院(本堂、鐘楼、鐘は県有
形文化財)として法灯を伝えているといったことから、前回の太宰府政庁跡にほど近く
ぶら散歩には格好のコース。
1400年前の古都だから、街並みや道の名前などからして抒情を誘う。往時のことどもを
思いつつの散策は実に楽しい♪ 20220925
戒壇院
戒壇院門構え
観世音寺
太宰府と大野城市は九州はおろか日本でも有数の古い歴史を持つ。令和の起源とも言わ
れる万葉集にも多く歌われており、史跡も非常に多い。その中でもまず太宰府政庁跡と
大野城跡にはぜひ行って見たかった。孫たちの訪問を兼ねて、1400年前の歴史に思いを
巡らせた。奈良時代の日本(という概念すらあるやなきやの時代)に存在した京都以上
の歴史を持つ九州の都市。太宰府政庁跡にももちろん何も建っていないが、礎石は多く
残っており、というかそれが発掘されて歴史が動いた!といっても過言ではない。
万葉のふる里でもあり「あをによし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく今盛りな
り」作者の小野老(西暦728年に大宰少貳として大宰府に赴任)がその時に詠んだ歌
とされている。大野城跡はその太宰府を元寇から守ることを第一義としての水城防衛
ラインの中心の城( ¨)( ‥)
第一弾としてはまあこんなものかな。次回は他の史跡や神社仏閣などから歴史散策を
トライしてみよう(^o^)/ 20220702
増長天(高床式倉庫)跡
太宰府,大野城市を一望
岩屋城跡
太宰府政庁跡
太宰府政庁跡バス停
庁官跡
太宰府天満宮
福岡県篠栗に九大の森というのがある。1977年に,農学部林学科が植林し始めたという。
同じ九大農学部でも違う学科をその年に卒業した私はそういう存在を知らなかった。
今現在、ここが一種のPowerスポットになっているらしい。ということで団体さんの
日帰り旅行に参加してみた。40年前住んでいた場所に近く,そんな所にまるで上高地
を思わせる森が存在していた。ただ、今年の日照りの影響で,いつもは水没している
はずのラクウショウの呼吸根が地上に飛び出したりしていた。
まあそれなりには風情を感じたが、もっと水が欲しかった(-_-;) 20180922