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〈江戸時代(14)〉

1830(文政13、天保01・12/10)【仁孝】 庚寅(かのえとら)

  《奉行》本多佐渡守(05/15持筒頭転出)、牧野長門守(成文・前山田奉行・05/28発令・09/着)、大草能登守(09/発)
  《代官》高木作右衛門忠任
  《商館長》ヘルマイン・フェリックス・メイラン(←11/01→)ヤン・ウイルレム・フレドリック・ファン・シッテルス

  01/15東浜町より出火
  12/04浦上山里村小瀬戸浦より出火。105戸が焼失
     翌年、銀208貫800匁を貸与、水主役には別に5貫目を給与
  「長崎くんち」(4)…丸山町、寄合町、新興善町、今下町、西築町、東上町、
     南馬町、大黒町、新石灰町、東浜町、東古川町、中紺屋町、本古川町
  寒菊、もしほ草の本家の和菓子店「岩永梅寿軒」が勝山町に創業
     矢柄町(丸山町)鍛冶屋町に移転
     1902(明治35)現諏訪町の中通りに移転
  魚類集散場(魚市場)が材木町(賑町)の本通りから近くの中島川河岸に移る
     問屋、漁業者の勢力争いは魚行商人まで巻き込み、得意客の争奪戦さえ引き起こす事態に
     1914(大正03)尾上町に移る

1831(天保02)【仁孝】 辛卯(かのとう)

  《奉行》大草能登守(09/着)、牧野長門守(09/発)
  《代官》高木作右衛門忠任(04/10死去)、高木作右衛門忠篤(12/任)
  《商館長》ヤン・ウイルレム・フレドリック・ファン・シッテルス

  01/たき(其扇)が娘いね(5)を連れて本籠町和三郎方へ嫁する
  11/14夜、光源寺本堂より出火し焼失
  「長崎くんち」(5)…丸山町、寄合町、東築町、桜町、小川町、内中町、
     西上町、八百屋町、勝山町、恵美須町、今紺屋町、炉粕町、伊勢町
  ハンセン氏病(癩病)の治療薬大風子(ダイフウシ)が中国船で長崎に約28トン輸入される
     輸入量から日本には50万人前後の患者がいただろうと推測
     薬の帳簿上の輸入量には増減があり、かなり密貿易された
  島原にて農村に対する耕作地の実態把握や寸志銀制度などが強化
     疲弊困窮していた下層農民が多比良一揆をおこす
     1832(天保03)有家で小作人の暴動がおきる
     1847(弘化04)千々石で小作人の暴動がおきる
     のち藩が備蓄米を放出など対策を講じる
     村方でも救助策が考えられ多比良では庄屋村里・地主万屋・籾屋・鍵屋ら7人が各自1町歩ずつの田を提供
     永世田が作られ貧農救済にあてられる

1832(天保03)【仁孝】 壬辰(みずのえたつ)

  《奉行》牧野長門守(09/着)、大草能登守(09/発)
  《代官》高木作右衛門忠篤
  《商館長》ヤン・ウイルレム・フレドリック・ファン・シッテルス

  08/捕縛された鼠小僧次郎吉が市中引き回しの上、鈴ケ森刑場で打首獄門。35歳
  09/11渡御。「長崎くんち」が雨天のため日程変更09/13還御
     (6)…丸山町、寄合町、本大工町、今魚町、今博多町、本籠町、
     本紺屋町、材木町、上筑後町、江戸町、後興善町、古町、本興善町
  12/27夜、長崎村西山郷より出火
  12/29夜、本紺屋町より出火
  1828(文政11)の台風で倒壊した諏方社の能舞台・回廊が、各戸銀3匁を負担、総町より銀100貫を拠出して修復
     1857(安政04)火災で焼失
  島原にて農村に対する耕作地の実態把握や寸志銀制度などが強化
     疲弊困窮していた下層農民がおこした多比良一揆に続いて、有家で小作人の暴動がおきる
     1847(弘化04)千々石で小作人の暴動がおきる

1833(天保04)【仁孝】 癸巳(みずのとみ)

  《奉行》大草能登守(05/20小普請奉行転出)、
      久世伊勢守(広正・前大坂町奉行・06/20発令・09/着)、牧野長門守(10/発)
  《代官》高木作右衛門忠篤
  《商館長》ヤン・ウイルレム・フレドリック・ファン・シッテルス

  02/05夜半、野母村の百姓竹蔵の灰小屋より出火
     近所のほとんどが茅葺きの小家で烈風下の火はたちまちに燃え広がり60軒が焼失
     たいていの家が家財、家具、漁具のすべてを失う
  05/01諏方社で徳川大納言の元服及び官位昇進祝賀能を開催
     1828(文政11)の大風による能舞台倒壊で休止以来5年振りに再興
  10/「長崎くんち」(7)…丸山町、寄合町、引地町、浦五島町、桶屋町、
     本石灰町、酒屋町、大井手町、袋町、船大工町、堀町、出来大工町、新町
  12/買入米掛をおき市民の食糧米を購入させる
     筑前、肥前の両侯に命じ必要があるときは米を迴漕する準備をさせる

1834(天保05)【仁孝】 甲午(きのえうま)

  《奉行》牧野長門守(09/着)、久世伊勢守(09/発)
  《代官》高木作右衛門忠篤
  《商館長》ヤン・ウイルレム・フレドリック・ファン・シッテルス(←11/30)(12/01→)ヨハネス・エルドウィン・ニーマン

  01/米価が高騰。筑前、肥前の両侯に命じ各米5千石を迴漕させる
  02/27暁、恵美須町岩蔵の焚火の後始末が悪く残り火が飛び出火
     船津村部落35戸全てに加え大黒町、西中町、西上町など長さ4丁半幅2丁を延焼。391戸、土蔵11軒が焼失
     随泉院本蓮寺内の一乗院、智妙院と佐賀、肥後、平戸、島原の蔵屋敷などを焼失し、昼頃に鎮火
     火は東北の風にあおられ大火に。風下には北瀬崎の米蔵もあり代官以下役人総出で警備、消火にあたる
     また代官支配下の長崎村船津浦漁師の藁葺き小屋が立ち並び、近くには松平、細川両家の蔵屋敷もある
     奉行久世伊勢守総指揮のもと消化に全力を尽くすが、ついに米蔵番所に飛び火
     米蔵4棟のうち2棟は約3600石の米とともに焼失
     1棟は壁をうち崩して米3200石を海岸に持ち出すことに成功、建物も残る
     最後の1棟はなかの米とともに無事
      恵美須町・岩蔵押込30日
      恵美須町岩蔵5人組の幸四郎、辰蔵、久兵衛、惣市
      恵美須町自身番屋番人、増之助、太市、倉松は消防方不精
     長崎村西山郷梅吉は出火の折り、夜着、布団、袷等を持ち逃げ質入れをし酒食入牢、入墨
  03/19夜、長崎村西山郷より出火
  06/28暁、今下町より出火
  06/29本興善町より出火
  09/11渡御。「長崎くんち」が雨天のため日程変更09/15還御
     (1)…丸山町、寄合町、船津町、樺島町、本博多町、
     平戸町、八幡町、麹屋町、北馬町、万屋町、西浜町、銀屋町、諏訪町
  注文したドンケルスクロク[泳気鐘(潜水器)・ケーソン]が長崎に到着。日の目を見ないまま出島の倉庫に眠り続ける
     鋳鉄製で重さ4.5瓲、中に2人位腰掛けられ、台船につり下げられて使う
     上部の通気孔からポンプで空気を送り、上部のガラス製円窓から採光
     ダイバーは膝のあたりまで水に浸かりながら海底の様子を調査
     1857(安政04)飽の浦熔鉄所建設が始まり裸島まで埋立てる工場敷地の周囲を巡らす石垣の基礎工事に使用
     熔鉄所建設の総指揮をとるオランダ海軍技術士官ハルデス中佐も自らケーソンに入る
  五島藩10代藩主盛成のとき殖産興業のため産物会所を設ける
     鯨、綿、塩、酒、苧(麻)を販売し利益をあげる
     のち役人のスキャンダルにより経営が頓挫
  松尾呉服店の初代松尾治太郎が天草の合津で綿の仲買人をはじめる
     もともと松尾家は受津土井口に何代も栄えた旧家。治太郎は分家独立し財をなす
     のちその取引は肥前、肥後、柳川方面にまで及び繁栄する
     のち3代松尾竜次郎は諫早の「明六」干拓事業に私財を投じて財産をなくす
     のち4代松尾猪一郎はシベリアまで歩いて商売に行く
     1924(大正13)4代松尾猪一郎は千々石に本店をおき朝鮮浦項支店、南支広東に丸松商工(百貨店)を経営
     戦後5代松尾治雄は呉服商となり、観光関係に目をむけて旅館の浴衣、丹前などの販路を開拓
     のち全国のトップを切ってウール丹前や袢纏の製造部門に新分野を拓いて旅館、ホテルの衣料方面に寄与
  宇田川ヨウ庵が自然科学への入門書として「植学啓原」を刊行

1835(天保06)【仁孝】 乙未(きのとひつじ)

  《奉行》久世伊勢守(10/着)、牧野長門守(11/発)
  《代官》高木作右衛門忠篤
  《商館長》ヨハネス・エルドウィン・ニーマン

  08/26今紺屋町の森田喜兵衛らが諏訪神社に青銅製の鳥居を創建
     鎮西大社の扁額は関白一条忠良の筆による
     1874(明治07)08/21台風の中心が長崎を通過。暴風によりわずかに基礎石を残して破壊
     のち市民は憂慮して再建を図るが実現できずに
     1892(明治25)神辺種徳が再建を決意
     肥塚與八郎と議して同志を募り委員15人を挙げ発起人とし市内各界に協力を要請
     1862(明治25)06/11資金協力者5800余人、2万円を集め三菱造船所に発注。再建
     1893(明治26)06/青銅製鳥居が竣工
     鳥居は三菱造船所で鋳造した堅固で精巧なもの。柱周4米余、高さ約10米
     残った資金1万円は諏訪神社の将来の経営に備えるものに
     1943(昭和18)金属類特別回収のため鳥居が撤去
     1952(昭和27)04/28鎮西大社諏訪神社に一の鳥居が建立
     戦後講和記念として橋本和太八ら6人の奉納による
  09/08長崎村片淵郷の塩硝調合場で爆発事故し出火。8人が即死。翌年、吏員へ埋葬料銀8枚、人夫6人へ各銭7貫文を支給
  「長崎くんち」(2)…丸山町、寄合町、榎津町、西古川町、磨屋町、本紙屋町、
     新橋町、新大工町、大村町、本五島町、金屋町、出来鍛冶屋町、今町
     西古川町の太鼓つくられる
  宇田川玄真の「和蘭薬鏡(おらんだやっきょう)」6編、全16巻完成
     医薬品について、国産の薬材はもちろん、中国・東南アジア産で手に入るものから、
     オランダの医学書・薬学書・植物書・百科事典・局方などを参考にして、その形態・薬効・処方・製剤法などを示す
     第1巻は1819(文政02)に刊行
  米価が急騰。07/の1石あたり銀80匁から12/には銀160匁に
     吏員を諸国に派遣し迴米の手当て。旅人をその本地に帰すなどの措置

1836(天保07)【仁孝】 丙申(ひのえさる)

  《奉行》牧野長門守(06/07西丸留守居転出)、
      戸川播磨守(安清・前在勤目付・06/07発令・11/着)、久世伊勢守(11/発)
  《代官》高木作右衛門忠篤
  《商館長》ヨハネス・エルドウィン・ニーマン

  春米が少なく保存米1千石を割る
  09/市内の米が欠乏し1升銭168文に上がる
     筑前、肥前の両侯に命じ各米5千石、肥前侯は本年米1千石、明年秋籾2千石を迴漕させる
  09/11渡御。「長崎くんち」が雨天のため日程変更09/13還御
     (3)…丸山町、寄合町、油屋町、今石灰町、下筑後町、
     今鍛冶屋町、今籠町、西中町、東中町、豊後町、本下町、外浦町、島原町
  唐船に定額外に原価10貫目の物品を輸入させその利益で毎年籾を備え不作の年にあてる
  宇田川ヨウ庵が「舎密開宗」初編を刊行
     1847(弘化04)編刊刊。未完に終わる

1837(天保08)【仁孝】 丁酉(ひのととり)

  《奉行》久世伊勢守(10/着)、戸川播磨守(10/発)
  《代官》高木作右衛門忠篤
  《商館長》ヨハネス・エルドウィン・ニーマン

  03/高木作右衛門御代官所支配の浦上淵村が米価高騰のため非常備銀のうちより10年賦で銀9貫260匁を貸与
  また為替用達の石崎恒五郎に命じ買米の上迴漕させる
  09/26朝、八幡町より出火
  09/29徳川七郎麿(のちの慶喜)が水戸藩主徳川斉昭の子として江戸・小石川の水戸藩邸に生まれる
     1866(慶応02)12/05正二位権大納言に任ぜられ、徳川15代将軍、最後の征夷大将軍となる
     1913(大正02)11/2277歳で没する
  11/25夜、長崎村馬場郷より出火
  「長崎くんち」(4)…丸山町、寄合町、新興善町、今下町、西築町、東上町、
     南馬町、大黒町、新石灰町、東浜町、東古川町、中紺屋町、本古川町
  人力車が出現。料金は梅ケ崎を起点に大黒町まで10銭
  河間八郎兵衛(唐訳司兪泰和)が三宅端蓮女の頼みで月琴の曲詞を日本語に訳し「清楽曲譜」と題す
  大槻俊斎が長崎に遊学。高島秋帆を介して牛痘苗を入手
     のち江戸浅草蔵前の伊勢屋の子どもに接種し成功

1838(天保09)【仁孝】 戊戌(つちのえいぬ)

  《奉行》戸川播磨守(09/着)、久世伊勢守(09/発)
  《代官》高木作右衛門忠篤
  《商館長》ヨハネス・エルドウィン・ニーマン(←11/17)(11/18→)エドゥアルド・フランディソン

  04/04夜、小川町の与蔵宅の囲炉裏の残り火の不始末により出火
     小川町、内中町、恵美須町、豊後町、新興善町、後興善町、本興善町、新町、堀町、船津町、
     今町、金屋町、本博多町、浦五島町、本五島町、樺島町、平戸町、大村町、島原町、外浦町、
     今下町、本下町、江戸町、西築町、東築町、計25町、長さ8丁、幅5丁に延焼。翌朝、鎮火
     1393戸が焼失。土蔵60棟、崩壊35戸、焼死3人、井戸に陥り死するもの3名
     唐通事会所、津島、小城、鹿島、諌早、筑前の屋敷、高島四郎太夫、後藤市之丞、高木諸右衛門宅などが焼失
     罹災者に白米120石7斗5升、銭224貫文を施与し貧民で居所のない者を八幡町の芝居小屋に居住
     類焼の地役人に貸与を許す
     本博多町の木下卯十郎は町内の災民に米10俵、銭10貫文を施与
     船津町の由太郎は出火の折り大黄3斤ほど、衣類5品を盗む入墨のうえ敲
     伊勢町の茂助は消化人夫として出ていたが琴1面、葉タバコ2個を盗み売払い酒食入墨のうえ敲
     長崎村西山郷の久助は出火の折り平戸町の栄三郎宅に手伝い紙類18束47枚を売払い酒食
     炉粕町の茂助は久助の盗品を買取りそれを売払っており、売払い分は取上げ
     肥前国布津村の無宿長之助は出火の折り今下町を往来し米1俵を盗み売払い酒食
     油屋町の与一郎は長之助の米を買取る。買取りの代銭は取上げ
  04/04大村町に住んでいた高島秋帆の本宅も類焼し、雷が丘(現東小島町)の父の別荘に住む
     1853(嘉永06)以降秋帆一家が江戸に移り門人中島名左衛門が住む
  05/諫早眼鏡橋が起工
     それまで本明川に橋はひとつもなく、諫早町と北諫早をむすぶ唯一の橋
     利用度も高く毎年の洪水にも崩壊することなかった
     永久に流されない橋を作ろうと各地の橋を視察。長崎の眼鏡橋に勝るものはないとの結論に達する
     中央基礎部で砂利層の上に厚さ1米の潟土を置き松くいで補強した上に枕木を敷いて地震に備える
     1839(天保10)08/諫早眼鏡橋が完成
     1957(昭和32)記録的豪雨に見舞われた諫早水害のおりにも、微動だにしなかった
     1957(昭和32)大水害後に解体、諫早公園に移築される
  「長崎くんち」(5)…丸山町、寄合町、東築町、桜町、小川町、内中町、
     西上町、八百屋町、勝山町、恵美須町、今紺屋町、炉粕町、伊勢町
  市民1日の食糧53石6斗余。近年、諸国が凶作で迴米が少なく市民が苦しむ
     米価を勝手に上げないよう取締掛乙名を通じ米屋へ命じる
     市中貧民へ御蔵米のうち121石9斗救米として放出
  今博多町に宮川商店が創業。創業当時は酒類の販売の他、食料品も取扱う
  長崎の家数1万0581、人口2万7166
     1841(天保12)家数1万0522、人口2万9962(男1万4534・女1万5408)

1839(天保10)【仁孝】 己亥(つちのとい)

  《奉行》久世伊勢守(04/08田安家家老転出)、
      田口加賀守(喜行・前留守居番次席・04/07発令・09/着)、戸川播磨守(09/発)
  《代官》高木作右衛門忠篤
  《商館長》エドゥアルド・フランディソン

  03/上身延山から僧侶が西下し本蓮寺、長照寺で開帳、遊女の日参が多くなる
  03/04大徳寺の天満宮で10日間にわたり大祭。雨のため21日まで延期に
     遊女たちは着飾って参詣。大浦の女たちが俄(にわか)などをして参詣。一層賑わう
  03/14桜馬場八幡社の鎮座200年祭(〜03/23)で生花や俄の仕出しで賑わう
     引田屋、中の筑後屋、角の筑後屋の太夫たちの中には
       江戸花魁風の裲襠(うちかけ)を着、力士風にいで立ち、
       島縮緬の着物に呉呂服連(ごろふくれん)の羽織を着け脇差しをさした者も
  04/25夜、炉粕町の梅太郎と東中町の嘉四郎は長崎会所の塀を乗り越え盗みをする
     蔵内の腰板を焼切った火気が残り煙立ったことにより発覚、放火と見なされる
      炉粕町・梅太郎死罪
      東中町・嘉四郎死罪
  07/22暁、浦上山里村里郷より出火。11戸が焼失
  08/諫早の本明川に眼鏡橋が完成
     諫早町と北諫早をむすぶ唯一の橋として利用度も高く、毎年の洪水にも崩壊することなく耐える
     昭和32(1957)記録的豪雨に見舞われた諫早水害のおりにも、微動だにしなかった
     1957(昭和32)大水害後に解体、諫早公園に移築される
  山崎忠兵衛が茂木に角屋を創業。一口香の生産をはじめる
     のち3代目の山崎七次郎が茂木ビワ生産組合をつくる
     1930(昭和05)4代目の山崎三代治が枇杷羊かんをはじめる
  「長崎くんち」(6)…丸山町、寄合町、本大工町、今魚町、今博多町、本籠町、
     本紺屋町、材木町、上筑後町、江戸町、後興善町、古町、本興善町
     王氏達より本籠町に蛇踊り用具一式が寄贈される
  数人の信徒が捕らえられたが、間もなく無罪放免。「浦上二番崩れ
  蘭館医リシュールが牛痘苗を移入。シーボルトの門人の楢林宋建が実地に試みるが腐敗しており失敗におわる

1840(天保11)【仁孝】 庚子(かのえね)

  《奉行》戸川播磨守(09/着)、田口加賀守(09/発)
  《代官》高木作右衛門忠篤
  《商館長》エドゥアルド・フランディソン

  04/17暁、勝山町より出火
  05/阿片戦争が勃発
  「長崎くんち」(7)…丸山町、寄合町、引地町、浦五島町、桶屋町、本石灰町、
     酒屋町、大井手町、袋町、船大工町、堀町、出来大工町、新町
     神輿守の伊良林郷と高野平郷の間で争いがおこる
  酒屋町のくんち世話役次右衛門ら4人が寄付を断わった町役宅2軒を襲い、建具や家財など叩き壊す
     4人とも敲きの上、市中郷中払いに処する
     諏方神社のお祭りも、時節がら諸事華美にわたらぬようにとのお触れが役所から出される
  高島秋帆が幕府に「西洋砲術御意見書」を提出

1841(天保12)【仁孝】 辛丑(かのとうし)

  《奉行》田口加賀守(04/15勘定奉行転出)、柳生伊勢守(久包・前目付・04/28発令・09/着)、戸川播磨守(09/発)
  《代官》高木作右衛門忠篤
  《商館長》エドゥアルド・フランディソン

  01/22高島秋帆が町年寄の定例参府のため異国筒を持ち江戸へ
     02/07江戸表に到着。御用の御筒類は御在府御奉行所に納められる
  03/高島秋帆が諸組與力格、長崎会所調役頭取に命ぜられる
  05/09高島秋帆が浅五郎以下の門人たちと武州の徳丸が原にて洋式銃隊の訓練を行なう
     幕命で下曽根金三郎と江川太郎左衛門(伊豆韮山の代官)に高島竜の奥義を伝授
  06/09暁、長崎村馬場郷より出火。16戸が焼失
  07/12高島秋帆が江戸を出立
     08/22長崎に帰着
  08/15《6/29》平戸藩第10代藩主の松浦静山が死去
     大著「甲子夜話」が正続100巻、続編80巻で未完のままに
  08/島原城下片町の太吉が西宮の船問屋中村屋伊右衛門の持船永住丸に乗り込み奥州宮古浦に向けて出港
     船には酒、砂糖、塩、線香、麻などを積み、乗組員は船頭善助他12人
     途中、浦賀に寄港。翌日、宮古浦に向かうが暴走半島沖で大時化にあい、伊豆網代に避難
     10/09網代を出港するが相模灘で台風にあい帆柱は倒れ舵が折れて船は漂流をはじめる
     1842(天保13)02/20イスパニア船に救助されカリフォルニアに連れられる
     メキシコ領サンポセ近くの海岸に置き去りにされるがメキシコ人に助けられる
     各地を転々と漂泊しながら帰国の旅費を稼ぐ
     1844(弘化01)03/貿易港マサツトランからルソン島マニラを経てマカオに入り
     舟山から鎮海、寧波、杭州を経て
     1845(弘化02)乍浦から長崎行の唐船に乗り込み帰国
     1846(弘化03)太吉の見聞談や体験談が賀来佐之により「墨是可新話」としてまとめられる
  12/郷村神事祭礼に、芝居・見世物などの人集めを禁じる
  「長崎くんち」(1)…丸山町、寄合町、船津町、樺島町、本博多町、
     平戸町、八幡町、麹屋町、北馬町、万屋町、西浜町、銀屋町、諏訪町
     前年の争いをふまえて神輿守が1社2郷から1社1郷に改められる
     樺島町の傘鉾が高灯籠に松、垂れは波に千鳥
  高島秋帆が家財を売り私費でオランダから軍銃300挺、野戦砲・臼砲など13門を購入し田上で演習を行なう
  高島秋帆が祝捷山合戦場で部下を訓練したとき、初めて「気を付け」の号令をかける
     のち日本中に広まる
  高島秋帆が幕府に「西洋砲術御意見書」を提出
  平戸藩11代藩主の主曜のとき異国船渡来による防衛体制が強化
     家臣団を上・中・下の3軍に分け、これまでの長槍隊のほかに大銃隊を編成し大砲4門を備える
  長崎の家数1万0522、人口2万9962(男1万4534・女1万5408)
     1845(弘化02)家数1万2028、人口2万9962(男1万4534・女1万5428)

1842(天保13)【仁孝】 壬寅(みずのえとら)

  《奉行》戸川播磨守(02/17勘定奉行転出)、伊沢美作守(政義・前浦賀奉行・03/28発令・09/着)、柳生伊勢守(09/発)
  《代官》高木作右衛門忠篤
  《商館長》エドゥアルド・フランディソン(←11/―→)ピーテル・アルベルト・ビク

  05/長崎奉行、柳生伊勢守の訓令
     1)女髪結は華美の風を促すので禁止する、但し丸山遊女は別
     2)地役人も一般市民も粗服を用い小役は木綿に限り、女の衣服も質素にすること
     3)女の髪結いに縮緬など用いてはならない
  07/12市中取締り方、木下勇之助が丸山の遣手15人が絹地の帯を用いていることを発覚
     07/13押込みを命じるが時期が盆の掛銀集めのため出向かねばならず遊女屋から嘆願書をだされる
     07/15押込みを許される
  07/21夜、今魚町より出火
     諏訪町の清四郎は出火の折り見舞いの帰り木綿反物5反を盗み取り質入れをし酒食重敲
     以下5名は清四郎から質にとっていた盗品の木綿反物を取上げ
      豊後町・質屋・久右衛門、本博多町・質屋・次右衛門
      今下町・質屋・定七、今博多町・質屋・良助、袋町・質屋・磯八
     無宿恒蔵は出火の折り風呂敷包みに衣類10品を盗みとり質入れして酒食重敲
  07/諏方社の祭礼に大金をかけ、また風俗をみだす舞踊を禁じ、すべて木綿を使用させる
     諏方社祭礼の催しは各町競って趣向をこらし経費は多額になる一方
     当番町がまわってくるまでに積立をしなくては追いつかぬほどに
  07/今魚町〜諏方町の石橋魚市橋が石橋に架け替え
     1925(大正14)コンクリート橋に架け替え
  08/長崎奉行は年明遊女が遊女屋の籍を借りて唐館に入るのは隠売女と変わらないとして
     今後、年明遊女を差出してはならないと遊女屋に命じる
     のち王氏、十二家船主たちは遊女とはいえ夫婦のように長年親しんで子供がいる者もおり許して欲しいと嘆願
     対し、奉行所は増年して再び遊女奉公することしか許可せず
  10/02高島秋帆が逮捕され揚屋(あがりや・士分の牢)に入れられる
     秋帆が謀反を企み鉄砲を購入、邸宅を石垣で囲み、公金で兵糧を買い込み、密貿易で軍資金を蓄えた罪
      長崎会所調役は福田安右衛門と久松喜兵衛で、秋帆はこれに次いでいた
      しかし2人を超えて、単独で頭取になり町年寄間の妬みを買い誣告を受ける一因となった
     1843(天保14)01/19秋帆ら11人が江戸送りになり伝馬町の牢獄に入れられる
     1846(弘化03)07/25刑が決まる
     軽罪で中追放の刑となり武州岡部侯の預かりに
     1853(嘉永06)08/06釈放。捕えられて足かけ12年。まる10年10か月から開放される。
     秋帆(56)、お香(50・妻)、浅五郎(33・息子)、太郎(11・孫)の4人で江戸に住むようになる
     1866(慶応02)01/14秋帆が講武所師範役の現職のまま69歳で病死
  10/米商忠兵衛ら10人が困窮者へ米405俵を寄付
  10/奉行所から唐人が遊女以外の遊女屋、遣手などへの砂糖贈与をやめるよう申し渡し
  10/《09/》学問好きの大村純顕の招きで漢詩人・儒学者の広瀬淡窓が大村に来訪。学館5教館の強化策を伝授
     12/02《11/01》伊木力、洗切経由で長崎着
     諏訪神社に参詣し中町の大村屋敷に入る
     大音寺、崇福寺、大徳寺を見物。大徳寺の庭から唐人屋敷、丸山を見る
     また長崎聖堂を訪ね、大波止の鉄砲ン玉を掌で測り10回りと知る
     1845(弘化02)04/《03/》大村侯の招きで再訪。純顕に6つの改めるべき弊風を説く
     一、諸大名群臣の行儀が尊大 二、行列を誇張し過ぎる 三、秘密主義は不可
     四、門地の高下重視では才能生きず 五、前例重視で進歩なし 六、文盲不学
     05/11《04/06》長崎に再遊。門下生で与力の吉沢雄之進むの部下として、念願の蘭館に入館
     椅子に座り、カピタンから酒、菓子でもてなされる
     唐館では関帝廟などを見てまわり茶菓でもてなされる
     のち日田へ戻るとき大村純顕から金千疋と鯨肉1かご、扶持金10両2分が届けられる
  11/04《10/02》高島秋帆が逮捕、入牢
     高島秋帆が長崎会所調役頭取に就任したことを嫉み、町年寄の福田九郎兵衛がざん訴
     「鉄砲を購入し城郭のように邸宅を石垣で囲み、兵糧を公金で買い、密貿易で軍資金を蓄え、謀反を企んでいる」
     のち幕府は国防に知識のある人材を必要とし釈放。無実がはれるまで足かけ12年かかる
  11/袋町の猪吉郎ほか10人の質屋が鳥目1420貫文の寄付を申し出
     奉行所は貧民救済のため川浚いをすることに
     日雇稼ぎは人足として、老人、女子供は土運びなどをして賃金を支給すると布告
     11/17今魚町川土手から始められる。賃金は男1日銭148文、女100文、子供48文
     町の商人たちも米銭の寄付を申出、今魚町から酒屋町の川端に寄付者の名前札が立ち並ぶ
     その日暮らしの者だけでなく町人も無給で参加し、対の仕着せ、肌着、筒袖、襦袢などを着け賑やかに
     36人の丸山芸子も3日の間、川浚いにでたいと願出、聞済みに
     芸子たちは美々しく着飾り見物人が雲集し、中には俄踊りなどをだしお祭り気分に
     年番乙名からの注意事項
     1)俄踊りや引き物等はやめること
     2)仕着せや肌着、襦袢等を揃いで作ったりはしない
     3)無給で川浚いに参加するときは役人に伺いをたてること
     4)川浚いの場所に見物にいったりしてはならない
     5)貧民救済も行届き川浚いの手当ても済み米銭の寄付は打切る
  12/04長崎奉行は風紀取締のため大浦の泊船に潜む隠売女13人を捕らえ丸山町、寄合町の乙名に預ける
     12/17女たちは出身地により島原用達、大村用達、天草郷宿支配役へ、それぞれ引渡される
  「長崎くんち」(2)…丸山町、寄合町、榎津町、西古川町、磨屋町、本紙屋町、
     新橋町、新大工町、大村町、本五島町、金屋町、出来鍛冶屋町、今町
  奉行所の機能の充実が必要となり、再び与力、同心が置かれる。与力10人、同心15人
  米屋12人が値を下げて市民に協力。青銅25貫文を褒美として与える
  寄合町の筑後屋、遊女中葉がカピタン、エドワァルト・ガランデソンの帰帆の際に小貰いした品…
     飼猿1匹、ターフル台、沓、三味線掛、椅子、剃刀、コップ、椰子油、丁子、金巾、屏風、
     箪笥、包丁、算盤、ブリッキ、水入、風呂桶、水瓶、鍋、釜、行燈、薬缶、盥、蒲団
  寄合町、引田屋の遊女花絹が唐船主、沈萍香との間に男児友吉を生む
     友吉は引田屋鉄之助の人別
     花絹の母せつが東中町の自分の人別に加えたいと寄合町乙名を通じ奉行所に願い出
     許される

1843(天保14)【仁孝】 癸卯(みずのとう)

  《奉行》柳生伊勢守(09/01山田奉行転出)、伊沢美作守(奉行1人制に・長崎在住)
  《代官》高木作右衛門忠篤
  《商館長》ピーテル・アルベルト・ビク

  03/07夜、東浜町の徳三郎宅より出火。早速打ち消し類焼はなし
      東浜町・徳三郎
  03/葬式が華美に流れ、身代を潰す者があり戒める
  05/13暁、浦上山里村小瀬戸郷より出火
  10/2421時頃、出来鍛冶屋町の新兵衛生宅裏小屋より出火
     今鍛冶屋町、今籠町、油屋町、今石灰町、新石灰町、長崎村高野平郷に延焼
     長さ6丁、幅1丁半ほど、562戸が焼失、土蔵5棟、南光寺、良泉院、宝輪寺、快光院、清水寺などが焼失
     罹災民に白米42石余、銭449貫文を施与、長崎村高野平郷災民に銀7貫目を貸与
     貧民に炊出しを92日間にわたり施す。罹災の地役人へ貸与を許す
     今鍛冶屋町の伝左衛門は罹災者に銭500貫文、町内災民に銭20貫文を施与
      出来鍛冶屋町・新兵衛手鎖50日
     新兵衛5人組の吉蔵、徳太郎、七五郎、幸之助、自身番所の安吉、丈太郎、嘉蔵らは早速消防に駆けつけるが大火に
      消防方不精押込20日
      長崎村小島郷の元吉は出火の折り米1俵と鍋を盗み取り売払い酒食
      銀屋町の佐助は元吉より米を買取り飯米にしたため買取った代銭を取上
      禅林寺山番非人の六次郎は出火の折り衣類外9品を盗み取る
      浦上村非人の寅松は出火の折り衣類外19品を盗み取る
      禅林寺山番非人の峯吉夜着を2つ盗み取る
  10/24鍛治屋町の天満宮が出来鍛治屋町からの火災で境内をことごとく消失
     1868(明治01)今籠町天満宮
     1975(昭和50)頃都市計画道路・恵美須町油屋町線拡張により移転、八坂神社本殿に合祀
  「長崎くんち」(3)…丸山町、寄合町、油屋町、今石灰町、下筑後町、
     今鍛冶屋町、今籠町、西中町、東中町、豊後町、本下町、外浦町、島原町
  丸山遊郭の遊女・初瀬が唐人陳陽達と心中
  遊女たちは唐館、蘭館へ行く場合を除き猥りに外出を禁じられる
     仏事や親の病気見舞いのときは遊女屋から付添いの者が同行すること
  幕府から隠売女は召捕え厳罰にすると布告
  寄合町の遊女「あづま」が盗品の銀金具を簪につくりかえ発覚。刑を受ける

天保年間(1830〜1844)

  長崎の桜町に初めて勝木禎輔が寺子屋「嘯涛軒」を開業

1844(天保15、弘化01・12/02)【仁孝】 甲辰(きのえたつ)


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