室町時代以前
(1)
室町以前(2)
安土桃山(1)
安土桃山時代
(2)
安土桃山時代
(3)
江戸時代(1) 江戸時代(2) 江戸時代(3)
江戸時代(4) 江戸時代(5) 江戸時代(6) 江戸時代(7) 江戸時代(8) 江戸時代(9) 江戸時代(10) 江戸時代(11)
江戸時代(12) 江戸時代(13) 江戸時代(14) 江戸時代(15) 江戸時代(16) 江戸時代(17) 江戸時代(18) 明治時代(1)
明治時代(2) 明治時代(3) 明治時代(4) 明治時代(5) 明治時代(6) 明治時代(7) 明治時代(8) 明治時代(9)
大正時代(1) 大正時代(2) 大正時代(3) 昭和時代(1) 昭和時代(2) 昭和時代(3) 昭和時代(4) 昭和時代(5)
昭和時代(6) 昭和時代(7) 昭和時代(8) 昭和時代(9) 昭和時代(10) 昭和時代(11) 平成時代(1) 平成時代(2)

前のページへ


〈江戸時代(9)〉

1736(享保21、元文01・04/28)【桜町】 丙辰(ひのえたつ)

  《奉行》窪田肥前守(09/着)、細井因幡守(09/18死去・本蓮寺に埋葬)、萩原伯耆守(美雅・前佐渡奉行・10/28発令)
  《商館長》ベルナルドス・コープ・ア・フルーン(←10/24→)ヤン・ファン・デル・クライセ

  02/09申下刻、唐人屋敷より出火。3棟焼失。公儀より船主5人に各銭100貫が支給
  05/06蘭館の上外科医ファン・ハステルの相手、丸山町、丹波屋の遊女若松が女児を出産
  06/長崎貿易制限のため市街の困窮により幕府が金4万両を貸与
  08/12朝、本紺屋町より出火
  09/09渡御。「長崎くんち」が雨天のため日程変更09/11還御
     (1)…丸山町、寄合町、船津町、樺島町、本博多町、
     平戸町、八幡町、麹屋町、北馬町、万屋町、西浜町、銀屋町、諏訪町
  11/13夜、桜町より出火
  唐人屋敷内に南京人達が航海安全を祈願し天后聖母を祀る天后堂を建立
     天后聖母の脇には千里眼、順風耳も安置
     関帝も併祀され、別名関帝堂とも
     1784(天明04)大火により唐人屋敷が天后堂を除き全焼
     1790(寛政02)重修
     1906(明治39)全国の華僑の寄附により再建
  住僧謙光が中島聖堂隣地の臨川院内に小祠を建て瓜生野天神を安置する
     1868(明治01)中島天満神社となる
  幕府が長崎奉行に命じてサポン(石鹸)の製法を習わせる

1737(元文02)【桜町】 丁巳(ひのとみ)

  《奉行》萩原伯耆守(08/着)、窪田肥前守(09/発)
  《商館長》ヤン・ファン・デル・クライセ(←10/13→)ヘラルドス・ベルナルドス・フィッセル

  02/04未中刻、唐人屋敷より出火。住家4棟と土神祠を焼失
  09/寄合町、引田屋の遊女大橋が広南船主、林達新の子を流産
  「長崎くんち」(2)…丸山町、寄合町、榎津町、西古川町、磨屋町、本紙屋町、
     新橋町、新大工町、大村町、本五島町、金屋町、出来鍛冶屋町、今町
  唐人屋敷内に観音堂が建立。観音菩薩が祀られる
     1784(天明04)火事で焼失
     1787(天明07)再建
     1917(大正06)華僑、永記号主人・鄭永超の寄進により改築
     のち数度改修
  唐館行き丸山遊女の延べ人数は1万6913人。代銀は84貫余り
     蘭館行き丸山遊女の延べ人数は620人。代銀は18貫余り

1738(元文03)【桜町】 戊午(つちのえうま)

  《奉行》窪田肥前守(09/着)、萩原伯耆守(09/発)
  《商館長》ヘラルドス・ベルナルドス・フィッセル

  09/07渡御。「長崎くんち」が雨天のため日程変更09/11還御
     (3)…丸山町、寄合町、油屋町、今石灰町、下筑後町、
     今鍛冶屋町、今籠町、西中町、東中町、豊後町、本下町、外浦町、島原町
  蘭人の諏方神事踊り観覧を中止する
     1746(延享03)復活
  濱町築地の「築地銅座」が廃止
  銅座の鋳銅所が廃止となる
  稲佐の稗田浜の鋳銅所が廃止となる

1739(元文04)【桜町】 己未(つちのとひつじ)

  《奉行》萩原伯耆守(09/着)、窪田肥前守(09/発)
  《代官》高木作右衛門忠与
  《商館長》ヘラルドス・ベルナルドス・フィッセル(←10/21)(10/22→)トーマス・ファン・レー

  02/蘭館の上外科医フィリップ・ピイトル・ムスクルスの相手、丸山町、長門屋の遊女満汐が女児を出産
  03/15代官再設される。御用物方高木作右衛門忠与が長崎付地方3千石の代官に。御用物方も兼務
     幕末まで世襲する
     代官制度は1676(延宝04)末次家4代平蔵茂朝と嫡子平兵衛の国禁品の密貿易が発覚により廃止
     1849(嘉永02)10/江戸時代最後の代官・高木作右衛門忠知が任命される
  09/09渡御。「長崎くんち」が雨天のため日程変更09/11還御
     (4)…丸山町、寄合町、新興善町、今下町、西築町、東上町、
     南馬町、大黒町、新石灰町、東浜町、東古川町、中紺屋町、本古川町
  11/古町橋が僧周傳により再架
     1795(寛政07)07/19破損
  炉粕町の水神神社が八幡町、銭屋川の倉田水樋水源地近くに移転
     1920(大正09)本河内水源地に近い現在地に移転
  生きているべっ甲亀が渡来、唐人屋敷で飼育を始める
  ロシア船が陸奥、安房沖に出没。ロシアとの関係がはじまる

1740(元文05)【桜町】 庚申(かのえさる)

  《奉行》窪田肥前守(09/着)、萩原伯耆守(09/発)
  《代官》高木作右衛門忠与
  《商館長》トーマス・ファン・レー(←11/08)(11/09→)ヤコブ・ファン・デル・ワーイエン

  09/07渡御。「長崎くんち」が雨天のため日程変更09/11還御
     (5)…丸山町、寄合町、東築町、桜町、小川町、内中町、
     西上町、八百屋町、勝山町、恵美須町、今紺屋町、炉粕町、伊勢町
  カピタン、トーマス・ファン・レーの相手、寄合町、佐伯屋の遊女常咲が女児さおを出産
     さおは佐伯屋で育てられていたが3才で死去
  大井手橋が再架

1741(元文06、寛保01・02/27)【桜町】 辛酉(かのととり)

  《奉行》萩原伯耆守(08/着)、窪田肥前守(09/発)
  《代官》高木作右衛門忠与
  《商館長》ヤコブ・ファン・デル・ワーイエン(←10/28)(10/29→)トーマス・ファン・レー

  01/08蔵米支出の法を定める
     長崎へ迴漕する各地貢米のうち5千石は非常の備穀、5千石は別途支出
     8千石は諸役人給与に充て残りがあれば非常の備穀に入れ、凶年に市街の米が窮したときにこれを売る
     備穀は毎年、新穀に変え、古米は支出またはは売ることに
  01/15夜、岩原目付空屋敷より出火
  02/23夜、長崎村中川郷より出火
  「長崎くんち」(6)…丸山町、寄合町、本大工町、今魚町、今博多町、
     本籠町、本紺屋町、材木町、上筑後町、江戸町、後興善町、古町、本興善町
  銅座の鋳銅所跡地で鉄銭の鋳造が行なわれる
     1745(延享02)廃止となる
  丸山町、山田屋の遊女松村が唐人大官との間に男児を出産
     届け出たところ懐妊の届けを怠り志摩屋が押込みを言渡される

1742(寛保02)【桜町】 壬戌(みずのえいぬ)

  《奉行》窪田肥前守(03/28西丸留守居転出)、田村阿波守(景厖・前佐渡奉行・03/28発令・08/着)、萩原伯耆守(09/発)
  《代官》高木作右衛門忠与
  《商館長》トーマス・ファン・レー(←10/17→)ヤコブ・ファン・デル・ワーイエン

  09/14夜、長崎村高野平郷より出火
  「長崎くんち」(7)…丸山町、寄合町、引地町、浦五島町、桶屋町、本石灰町、
     酒屋町、大井手町、袋町、船大工町、堀町、出来大工町、新町
  新橋町〜本大工町にアーチ石橋東新橋を再架。費用は新橋町、本大工町の掛り町が負担
     1795(寛政07)洪水で再び流失

1743(寛保03)【桜町】 癸亥(みずのとい)

  《奉行》萩原伯耆守(01/11勘定奉行転出)、松波備前守(正房・前佐渡奉行・01/11発令・08/着)、田村阿波守(09/発)
  《代官》高木作右衛門忠与
  《商館長》ヤコブ・ファン・デル・ワーイエン(←11/09)(11/05→)ダビッド・ブラウエル

  09/07渡御。「長崎くんち」が雨天のため日程変更09/11還御
     (1)…丸山町、寄合町、船津町、樺島町、本博多町、
     平戸町、八幡町、麹屋町、北馬町、万屋町、西浜町、銀屋町、諏訪町
  09/幕府の倹約令に基づき諏方神事に際し供奉者衣服はもちろん傘鉾などにいたるまで木綿を用いる
  出島カピタンの参府を5年に1度と改める
  鍋冠山に誠孝院が創建される
  馬込郷の聖徳寺全面の浜手(現銭座小学校の地)で鉄銭の鋳造がはじまる
     1745(延享02)銭座を廃止

1744(寛保04、延享01)【桜町】 甲子(きのえね)

  《奉行》田村阿波守(10/着)、松波備前守(10/発)
  《代官》高木作右衛門忠与
  《商館長》ダビッド・ブラウエル(←11/01)(11/02→)ヤコブ・ファン・デル・ワーイエン

  04/07暁、東浜町の茂平次所持の掛屋敷より出火。隣接する小家4棟を類焼するが不審者なく30日間戸〆
  09/07渡御。「長崎くんち」が雨天のため日程変更09/11還御
     (2)…丸山町、寄合町、榎津町、西古川町、磨屋町、本紙屋町、
     新橋町、新大工町、大村町、本五島町、金屋町、出来鍛冶屋町、今町
  09/寄合町、筑後屋の遊女袖高がカピタン、ダビッド・ブロムエルとの間に男児を出産。4才で死去
  西役所を瓦葺きにする
  島原藩が領内にハゼノキ5万本を植栽
     のちさらに5万本を植える
  青木昆陽が幕命により長崎に留学し蘭学を学ぶ
     青木昆陽の長崎滞在は2年足らず
     蘭通詞の西喜三郎、吉雄耕牛らは昆陽の来崎に力を得て、蘭書の読書、訳文も許されたいとしきりに懇願
     昆陽も当然のこととして正式に官に願い出たので吉宗は許す
  清人の李仁山が長崎にきて人痘種痘法を伝える

1745(延享02)【桜町】 乙丑(きのとうし)

  《奉行》松波備前守(10/着)、田村阿波守(12/発)
  《代官》高木作右衛門忠与
  《商館長》ヤコブ・ファン・デル・ワーイエン(←12/28)(12/30→)ヤン・ルイス・ウィン

  「長崎くんち」(3)…丸山町、寄合町、油屋町、今石灰町、下筑後町、
     今鍛冶屋町、今籠町、西中町、東中町、豊後町、本下町、外浦町、島原町
  福済寺の唐僧大鵬和尚の難病を治療した名医で詩・書にも長じていた唐人沈草亭は遊女中葉を寵愛
  馬込銭座を廃止
  銅座の鋳銅所跡地で行なわれていた鉄銭の鋳造が廃止となる

1746(延享03)【桜町】 丙寅(ひのえとら)

  《奉行》松波備前守(03/27死去・大音寺に埋葬)、安部主計頭(一信・前目付・05/01発令)、田村阿波守(08/着)
  《代官》高木作右衛門忠与
  《商館長》ヤン・ルイス・ウィン(←11/02)(11/03→)ヤコブ・バルデ

  01/16夜、長崎村馬場郷より出火。30戸を焼失
  「長崎くんち」(4)…丸山町、寄合町、新興善町、今下町、西築町、
     東上町、南馬町、大黒町、新石灰町、東浜町、東古川町、中紺屋町、本古川町
  09/阿蘭陀人の大波戸御旅所での神事踊観覧が1738(元文03)以来、復活

1747(延享04)【桃園】 丁卯(ひのとう)

  《奉行》安部主計頭(08/着)、田村阿波守(09/発)
  《代官》高木作右衛門忠与
  《商館長》ヤコブ・バルデ(←10/25)(10/28→)ヤン・ルイス・ド・ウィン

  02/02夜、長崎村中川郷より出火
  「長崎くんち」(5)…丸山町、寄合町、東築町、桜町、小川町、内中町、
     西上町、八百屋町、勝山町、恵美須町、今紺屋町、炉粕町、伊勢町
  顕微鏡(むしめがね)が2台輸入される。1台は将軍家重の注文、1台は長崎奉行田付阿波守のもの

1748(延享05、寛延01・07/12)【桃園】 戊辰(つちのえたつ)

  《奉行》田村阿波守(06/20西丸留守居転出)、松浦河内守(信正・勘定奉行兼任・06/20発令・09/着)、安部主計頭(10/発)
  《代官》高木作右衛門忠与
  《商館長》ヤン・ルイス・ド・ウィン(←11/11)(11/12→)ヤコブ・バルデ

  09/07渡御。「長崎くんち」が雨天のため日程変更09/11還御
     (6)…丸山町、寄合町、本大工町、今魚町、今博多町、
     本籠町、本紺屋町、材木町、上筑後町、江戸町、後興善町、古町、本興善町
  吉雄耕牛が25才で阿蘭陀大通詞となる
     1762(宝暦12)長崎の甚太郎にカテーテルを模造させる
     1765(明和02)甲比丹とともに江戸参府、平賀源内に蘭学を指導する
  風頭山のふもと元晧台寺の敷地にあった柞原(ゆすばる)八幡宮が中川郷に移転。
     隣接、聖福寺の敷地拡張のため。中川八幡神社
  第10回朝鮮通信使使節団が来朝。正使は洪啓禧、総人数475。使命は徳川家重の将軍職就任祝い
     通信使の江戸往復は対馬藩宗氏が終始その先導・護衛にあたる
     1764(宝暦14)第11回朝鮮通信使使節団が来朝。正使は趙●(日編に嚴)、総人数477。使命は徳川家治の将軍職就任祝い

1749(寛延02)【桃園】 己巳(つちのとみ)

  《奉行》安部主計頭(09/着)、松浦河内守(09/発)
  《代官》高木作右衛門忠与
  《商館長》ヤコブ・バルデ(←12/08→)ヘンドリック・フォン・ホムッド

  04/30夜、浦上山里村平野宿より出火。60余戸を焼失
  09/07渡御。「長崎くんち」が雨天のため日程変更09/11還御
     (7)…丸山町、寄合町、引地町、浦五島町、桶屋町、本石灰町、
     酒屋町、大井手町、袋町、船大工町、堀町、出来大工町、新町
  諫早藩が、ささいなことから佐賀藩から4千石の減地を申し渡される
     佐賀藩に対する諫早領民の怒りが爆発。百姓騒動がおこる
     1750(寛延03)10/26中心人物・若杉春后と大坂町奉行所に直訴した農民3人が佐賀藩の手で磔刑に
  将軍吉宗献上の郊外中野村の百姓の源助に貸与さらた雄象が、源助は餌代をけちり栄養失調で餓死
     1816(文化13)甲比丹ヘンドリキ・ドーフが 将軍家へ象の献上を申し出たが、その儀に及ばずと謝絶

1750(寛延03)【桃園】 庚午(かのえうま)

  《奉行》松浦河内守(10/着)、安部主計頭(10/発)
  《代官》高木作右衛門忠与
  《商館長》ヘンドリック・フォン・ホムッド(←12/24)(12/25→)アブラハム・ファン・スフテレン

  01/04丸山町、寄合町の遊女たちが小舟に乗って唐船の出帆を見送るため沖へ出ていたのが奉行所に知れる
     奉行所は不届き至極であるとして、今後、同じようなことがあれば罰されるであろうと両町乙名へ請書を提出させる
  03/16遊女、遣手などへ起請文を読みきかせ誓詞血判をさせる
     1)唐人、オランダ人へ書面、金銀などの取次ぎをしないこと
     2)金銀、反物を揚代として貰い隠しおいて持ち出してはいけない
     日本のことを尋ねられても、ひとことも喋ってはならない。異国の話など聞いてはならない
     3)出島蘭館、唐人屋敷へ禁制品を持ち込んではいけない。金銀の製品も持ち込んではいけない
     4)日本人が唐人、オランダ人へ何事によらず頼み込んでいる者がいたら隠さず早速届け出ること
     5)遣手が出島唐人屋敷へ遊女を連れていくときは、決して道筋を変えてはいけない
     途中でどのような人に呼び止められても立ち寄ってはならない。その場合は遊女をつれて帰ること
  10/26前年の諌早百姓騒動の中心人物・若杉春后と大坂町奉行所に直訴した農民3人が佐賀藩の手で磔刑に
  「長崎くんち」(1)…丸山町、寄合町、船津町、樺島町、本博多町、
     平戸町、八幡町、麹屋町、北馬町、万屋町、西浜町、銀屋町、諏訪町

1751(寛延04、宝暦01・10/27)【桃園】 辛未(かのとひつじ)

  《奉行》安部主計頭(02/13退任)、菅沼下野守(定秀・前在勤目付・02/15発令・同日着)、松浦河内守(09/発)
  《代官》高木作右衛門忠与
  《商館長》アブラハム・ファン・スフテレン(←11/18)(11/19→)ヘンドリック・フォン・ホムッド

  03/24唐館から紛れ女が1人発見される
     さらに03/26に2名、03/27に2人発見される
       紛れ女…正式に遊女の届けをとらず紛れ込んで唐人、紅毛人に関係する女
  03/長崎奉行松浦河内守は市中の風紀を取り締まるため唐館内の名付遊女、仕切遊女、雇禿、紛れ女を捜索
     120余名が検挙される
       名付遊女…手数料を払って名義だけ遊女屋に籍をおき唐館や出島に出入りする女
       仕切遊女…唐人またはオランダ人の相手を1人に限る遊女
     04/19奉行所から丸山町、寄合町の乙名への達し
     検挙された120人のうち70人は丸山町の遊女屋へ、50人は寄合町野遊女屋へ割り当てる
     120人は3年間、遊女勤めをさせ、唐人屋敷や出島への立ち入りは禁止
  04/山口太左衛門が亀屋銀太夫の所有地3反5畝10歩を譲り受けて引田屋の土地とし花月楼を建てる
     唐人は養花山館と呼ぶ
  04/唐人屋敷へ出入する遊女、禿(かむろ)は取締役人の下付する門通札がなければ出入を許可しない
     04/〜07/下付去れた門通札は312枚
     安政年間まで続く
  08/寄合町、石見屋の仕切遊女都路が唐人屋敷の垣外を通っていると馴染みの唐人姜再過に呼び止められる
     「東古川町の武七から金子を受取る筈だから至急渡すように」と伝言を頼まれる
     翌日武七へ連絡
     10/06唐館内の二の門で姜再過の封書が発見し露顕
     都路は訊問の上、町預けに
     11/18町預け赦免
     11/30押込みを言渡される
  「長崎くんち」(2)…丸山町、寄合町、榎津町、西古川町、磨屋町、本紙屋町、
     新橋町、新大工町、大村町、本五島町、金屋町、出来鍛冶屋町、今町
  唐通事の事務所が今町の人参座跡に設立。唐通事会所と呼ばれる
     1762(宝暦12)07/09本興善町の糸荷蔵跡に移転。敷地は156坪

1752(宝暦02)【桃園】 壬申(みずのえさる)

  《奉行》松浦河内守(02/15長崎奉行兼任を解く)、大橋近江守(親義・前目付・02/15発令・08/着)、菅沼下野守(09/発)
  《代官》高木作右衛門忠与
  《商館長》ヘンドリック・フォン・ホムッド(←12/05)(12/06→)ダビッド・ブーレン

  03/30深夜、寄合町の遊女屋大阪屋へ江戸町の新蔵が覆面の旅人を連れてくる
     遣手ふじが遊女桜木(19)、薄菊(18)を座敷へ出すが旅人は覆面のまま
     のち再び覆面の客を連れくる。気をつけて見ると客は異国人であることが分かる
     遣手ふじは新蔵に重ねて連れてこないように注意し、主人甚三郎には知らせず
     のち噂がひろがり主人甚三郎の耳に入る
     10/09夜、寄合町の油屋に覆面の客が現れ、遣手さんが八千代(19)、九重(17)、八十島(18)を座敷へ
     遊女たちは客が異国人と気づき遣手さんに告げ、客を帰宅させる。主人与之助に知らせ、主人は寄合町乙名へ内々通知
     10/10夜、大阪屋へ異国人の客が来る。酒肴をだし主人甚三郎は役人へ届ける
     隠密方の町使が2人きて4人の異国人を捕らえる
     12/中判決が下る
     江戸町新蔵は入墨のうえ長崎払い、寄合町大阪屋甚三郎は町預、戸〆、油屋町与之助は町預、戸〆、
     寄合町遣手さん叱置、大阪屋遣手ふじ叱置、寄合町乙名、芦刈猪之八叱置、
     異国人マアルト・ハンテイモル(28)他3人は不明
  04/25夜、出島東番所より出火し焼失
  「長崎くんち」(3)…丸山町、寄合町、油屋町、今石灰町、下筑後町、
     今鍛冶屋町、今籠町、西中町、東中町、豊後町、本下町、外浦町、島原町
  讃岐出身の平賀源内(25)が高松藩主松平頼恭の命により長崎に遊学。蘭語や絵画、西洋技術などを学ぶ
     1770(明和07)田沼意次の知遇を得て2度目の長崎遊学
     通詞・西善三郎から壊れたエレキテル(摩擦起電器)を入手
     また外国人から「雲中飛行船」の図を購入し、田沼主殿頭に贈る
     のち長崎で入手した起電機をヒントにエレキテルやコンパスを発明

1753(宝暦03)【桃園】 癸酉(みずのととり)

  《奉行》菅沼下野守(08/着)、大橋近江守(09/発)
  《代官》高木作右衛門忠与
  《商館長》ダビッド・ブーレン(←10/15)(10/16→)ヘンドリック・ファン・ホムッド

  09/07渡御。「長崎くんち」が雨天のため日程変更09/11還御
     (4)…丸山町、寄合町、新興善町、今下町、西築町、東上町、
     南馬町、大黒町、新石灰町、東浜町、東古川町、中紺屋町、本古川町
  09/21長崎奉行所の門前に訴状箱(目安箱・訴訟箱)が設置される
     おもに諸役人の不正、抜荷の情報を直訴させるための手段として偶数月(隔月)にだされる
     訴人は長崎町民と代官支配の郷民に限られる
     差し出すときは訴訟事を書状に書きしたため、住所姓名を明記し封目に印鑑をおす
     無記名のものは取上げられない
      訴訟事…行政のためになること、諸役人の私曲、抜荷の情報、救済銀など
     書付は封印のまま江戸へ差上げられ意趣遺恨で嘘の訴えをした者は吟味の上処罰される
     訴訟は役所に訴えるのが原則
      箱訴しても取上げない、役所が多忙で訴訟が滞る場合、役所へ断りのうえ直訴せよとの規則も。ほとんど利用されず
     訴状箱は朝06時に奉行所役人2人の立会いで訴状箱管理役に渡し門前に設置
      午後02時に引取るときも役人1人と訴状箱守方に管理され厳重な取扱がなされる
      凡そ8時間のあいだに投函するよう定められる
  10/16巳刻、西中町の三浦才兵衛宅と森山金左衛門宅の間より出火
  12/05夜、長崎村西山郷より出火。40余戸を焼失

1754(宝暦04)【桃園】 甲戌(きのえいぬ)

  《奉行》大橋近江守(04/09勘定奉行転出)、坪内駿河守(定央・前目付・04/09発令・09/着)、菅沼下野守(09/発)
  《代官》高木作右衛門忠与
  《商館長》ヘンドリック・ファン・ホムッド(←11/03)(11/04→)ダビッド・ブーレン

  03/15夜、今博多町より出火。5軒を焼失
  09/07渡御。「長崎くんち」が雨天のため日程変更09/11還御
     (5)…丸山町、寄合町、東築町、桜町、小川町、内中町、
     西上町、八百屋町、勝山町、恵美須町、今紺屋町、炉粕町、伊勢町
  09/蘭館ヘトル(荷蔵)役ヤン・ヘッキが三国屋の遊女玉菊へべっ甲、櫛形などを贈る
  10/14丑刻、八百屋町より出火。炉粕町に延焼し御用蔵普請方用屋敷その他34戸を焼失
  山脇東洋と小杉玄通が京において初めて死体を解剖
  梅毒の治療薬、山帰来(サンキライ)およそ400トンが中国から長崎に輸入される
     山帰来は別名を土茯苓(ドブクリョウ)
     この年の中国船による輸入薬物の46%。90万人以上の患者1か月分の用量に当たると推測

1755(宝暦05)【桃園】 乙亥(きのとい)

  《奉行》菅沼下野守(08/着)、坪内駿河守(09/発)
  《代官》高木作右衛門忠与
  《商館長》ダビッド・ブーレン(←10/25→)ヘルベルト・フェルミューレン

  09/09渡御。「長崎くんち」が雨天のため日程変更09/11還御
     (6)…丸山町、寄合町、本大工町、今魚町、今博多町、
     本籠町、本紺屋町、材木町、上筑後町、江戸町、後興善町、古町、本興善町
  11/03夕、福済寺の弁天堂を焼失
  安藤昌益が「自然真栄道」を著す

1756(宝暦06)【桃園】 丙子(ひのえね)

  《奉行》坪内駿河守(09/着)、菅沼下野守(09/発)
  《代官》高木作右衛門忠与
  《商館長》ヘルベルト・フェルミューレン(←10/12)(10/13→)ダビッド・ブーレン

  01/01丑刻、今紺屋町の太田某の錦屋より出火。中紺屋町、本大工町、今魚町、引地町に延焼、423戸を焼失
     罹災者 借家の者戸主1人銭700文、家族1人銭500文を給与される
  01/13夜、出島より出火
  01/31夜、出島で出火
  02/25夜、浦上山里村平野宿より出火
  「長崎くんち」(7)…丸山町、寄合町、引地町、浦五島町、桶屋町、本石灰町、
     酒屋町、大井手町、袋町、船大工町、堀町、出来大工町、新町
  熊本藩が薬園を設置

1757(宝暦07)【桃園】 丁丑(ひのとうし)

  《奉行》菅沼下野守(06/01勘定奉行転出)、正木志摩守(康恒・前目付・06/15発令・10/着)、坪内駿河守(10/発)
  《代官》高木作右衛門忠与
  《商館長》ダビッド・ブーレン(←10/31)(11/01→)ヘルバルト・フェルミューレン

  02/寄合町、油屋抱遊女の若浦が紅毛人フルスヘッキとの間に女児きりを出産
     フルスヘッキはきりを自宅でオランダ人として養育したいと願い出
     年番大通詞、小通詞から抱主油屋利三太に命じ若浦と両親と相談。これを拒絶
     1786(天明06)09/30才のきりは外出したまま行方不明に
  「長崎くんち」(1)…丸山町、寄合町、船津町、樺島町、本博多町、
     平戸町、八幡町、麹屋町、北馬町、万屋町、西浜町、銀屋町、諏訪町

1758(宝暦08)【桃園】 戊寅(つちのえとら)

  《奉行》坪内駿河守(10/着)、正木志摩守(11/発)
  《代官》高木作右衛門忠与
  《商館長》ヘルバルト・ヘルミューレン(←11/11)(11/12→)ヨハネス・レイノウツ

  「長崎くんち」(2)…丸山町、寄合町、榎津町、西古川町、磨屋町、本紙屋町、
     新橋町、新大工町、大村町、本五島町、金屋町、出来鍛冶屋町、今町
  馬場郷の威福寺の内にあった玉泉院が現在の寄合町の地に移転
     1868(明治01)玉泉神社

1759(宝暦09)【桃園】 己卯(つちのとう)

  《奉行》正木志摩守(08/着)、坪内駿河守(09/発)
  《代官》高木作右衛門忠与
  《商館長》ヨハネス・レイノウツ

  10/06夜、長崎村小島郷より出火
  「長崎くんち」(3)…丸山町、寄合町、油屋町、今石灰町、下筑後町、
     今鍛冶屋町、今籠町、西中町、東中町、豊後町、本下町、外浦町、島原町
  紅毛人ロイトルが出島に呼び入れている越後屋の遊女色袖にべっ甲爪42、其他を贈る
  山脇東洋が「蔵志」刊行

宝暦年間(1750年代)

  外海の樫山地区から追害を逃れたキリシタンが高島に移り住む

1760(宝暦10)【桃園】 庚辰(かのえたつ)

  《奉行》坪内駿河守(06/23勘定奉行転出)、大久保土佐守(忠與・前目付・06/23発令・10/着)、正木志摩守(10/発)
  《代官》高木作右衛門忠与(08/13死去・本蓮寺後山高木家墓地に埋葬)
  《商館長》ヨハネス・レイノウツ(←11/11)(11/12→)マルティン・ハイスホールン

  01/22夜、浦上山里村中野宿より出火
  02/25暁、長崎村十善寺郷より出火
  09/23夜、唐人屋敷で出火。土神祠が焼失
     出火の折り銅座の源右衛門が唐人屋敷に忍び込み召捕られ吟味、密売が発覚100敲の上、追放
  「長崎くんち」(4)…丸山町、寄合町、新興善町、今下町、西築町、東上町、
     南馬町、大黒町、新石灰町、東浜町、東古川町、中紺屋町、本古川町

1761(宝暦11)【桃園】 辛巳(かのとみ)

  《奉行》正木志摩守(09/着)、大久保土佐守(10/発)
  《代官》高木作右衛門忠興(忠与の3男・菊次郎)
  《商館長》マルティン・ハイスホールン(←10/30)(10/31→)ヨハネス・レイノウツ

  09/11渡御。「長崎くんち」が12日は将軍吉宗の嗣子家重の忌日のため日程変更09/13還御
     諏方神事能定日の12日を11日に改める
     (5)…丸山町、寄合町、東築町、桜町、小川町、内中町、
     西上町、八百屋町、勝山町、恵美須町、今紺屋町、炉粕町、伊勢町

1762(宝暦12)【後桜町】 壬午(みずのえうま)

  《奉行》大久保土佐守(05/29退任)、石谷備後守(清昌・勘定奉行兼任・06/06発令・10/着)、正木志摩守(10/発)
  《代官》高木作右衛門忠興
  《商館長》ヨハネス・レイノウツ(←12/02)(12/03→)フレドリック・ウイルレム・ウィネッケ

  07/09唐通事の事務所唐通事会所が今町の人参座跡から本興善町の糸荷蔵跡に移転。敷地は156坪
  08/12諏方社が桃園天皇の崩御で09/03まで大門を閉鎖。謹慎を表すが期間中の祭儀・諸式は執行
  「長崎くんち」(6)…丸山町、寄合町、本大工町、今魚町、今博多町、
     本籠町、本紺屋町、材木町、上筑後町、江戸町、後興善町、古町、本興善町
  吉雄耕牛が長崎の甚太郎にカテーテルを模造させる
     1765(明和02)甲比丹とともに江戸参府、平賀源内に蘭学を指導する

1763(宝暦13)【後桜町】 癸未(みずのとひつじ)

  《奉行》正木志摩守(05/10作事奉行転出)、大岡美濃守(忠移・前山田奉行・06/01発令・11/着)、石谷備後守(11/発)
  《代官》高木作右衛門忠興
  《商館長》フレドリック・ウイルレム・ウィネッケ(←11/06)(11/07→)ヤン・クランス

  02/26夜、今魚町より出火
  09/07夜、船津町より出火
  12/01夜、勝山町より出火
  「長崎くんち」(7)…丸山町、寄合町、引地町、浦五島町、桶屋町、本石灰町、
     酒屋町、大井手町、袋町、船大工町、堀町、出来大工町、新町

1764(宝暦14、明和01・06/02)【後桜町】 甲申(きのえさる)


次のページへ


室町時代以前
(1)
室町以前(2)
安土桃山(1)
安土桃山時代
(2)
安土桃山時代
(3)
江戸時代(1) 江戸時代(2) 江戸時代(3)
江戸時代(4) 江戸時代(5) 江戸時代(6) 江戸時代(7) 江戸時代(8) 江戸時代(9) 江戸時代(10) 江戸時代(11)
江戸時代(12) 江戸時代(13) 江戸時代(14) 江戸時代(15) 江戸時代(16) 江戸時代(17) 江戸時代(18) 明治時代(1)
明治時代(2) 明治時代(3) 明治時代(4) 明治時代(5) 明治時代(6) 明治時代(7) 明治時代(8) 明治時代(9)
大正時代(1) 大正時代(2) 大正時代(3) 昭和時代(1) 昭和時代(2) 昭和時代(3) 昭和時代(4) 昭和時代(5)
昭和時代(6) 昭和時代(7) 昭和時代(8) 昭和時代(9) 昭和時代(10) 昭和時代(11) 平成時代(1) 平成時代(2)