アナログとデジタルどちらも面白い

      古写真や古地図等を参考に、歴史や地形等を頭に描きつつぶらぶらと街をあるいは山を歩くと、いろいろと見えてくるものがあるような気がする。元々は健康に良かろうと考えて始めた。歩くほど登るほど面白みを感じる。長崎は歴史の街。まだまだ楽しめそうだ。といった趣旨で自分のホームページ「山歩き街歩き」を立ち上げて楽しんでいたが、そのサイトが閉鎖されてしまった。そこで、20年以上維持してきた日常のあれやこれやを載せた本体ホームページに合体することにした。昔は影も形もなかった携帯やスマホを使う時代。そういう場合でも、多少のネットの知識を持って臨まないとなかなかうまくゆかない。ぶらぶら歩きは、名所旧跡などをさるくといういわばアナログ。一方、ネットは当然デジタル。二つを論じるつもりはないが、どちらもそれぞれに面白い。 先日、山歩きの同好会に参加して野母崎にある殿隠山と遠見山に登った。こういった山や土地の名前を調べるのにもネットは非常に便利だが、残念ながら載っていなかった。展望の全くない隠れ場所の多い殿隠山と対照的に、遠見山はその名の通り、恐らく遠見番所的な山だったと推察され脇岬など素晴らしい眺めのご褒美。名も知らぬキノコなどもたくさん自生していた。2019.7.1

高齢者事故率 実は高くない

           40年近く前、1週間の間に加害事故と被害事故が連続したことがあった。どちらも5万円程度の軽微な物損だったが、1週間ということに大変ショックを受けた。それ以降、速度超過や一時停止義務違反などの切符は多数切られたが、幸いにして事故は一度もない。 最近、老人による交通事故が大変多いように感じる。しかし、データを調べると老人の事故率が必ずしも高い訳ではないようだ。むしろ若年層の事故率が際立って高いのが目立つ。殊に16歳-19歳は各年代別で見ると数倍以上高い。16歳から17歳は原付免許ということを考慮しても異常に高く、次に高いのが20代。高齢者と言われる60代は比較的低く80代でも20代より低い。ブレーキとアクセルの踏み違いや認知症による高齢者の重大事故が報道されることによる印象が大きいのかもしれない。ただ、年をとると確かに自損行為は増えると思う。ここ数年、夜間と後退が苦手になった気がする。これが自損事故になってきたら免許返納を考える時だろうが、まだ大丈夫かな。多発する交通事故は意識改革や法改正,車の操作性改善など多方面からの対策が必要なのだと思う。2019.6.6

少子高齢化は明るい発想で

                         超少子高齢化の時代を迎えようとしている。総じて、20年後30年後のことを統計分析して過度に悲観したがるが、多少無理してでも楽観的な未来を想像したいものである。少子化ならば昔と違ってクラスの人数も少なくなり少数精鋭的な教育や愛情を受けられるのではないか。 発生する人出不足は、工夫次第で人生経験豊富な年寄りの活用ができるかもしれない。年金世代は喜んでお手伝いすると思うし私も参加したい。老人による車の事故を自動運転で防ぐというよりも、逆に一定の年齢を超えたら暴走しにくいマニュアル車限定の免許にするという発想もある。 未曽有の少子高齢化を過大に憂うより、荒唐無稽な案でも検討して欲しい。大正9年と昭和2年生まれだった両親が生きていれば99歳と92歳。悲惨な戦争を経験した世代は生きることで精一杯だったことと思う。私の世代は高度成長の一方で災害の多発と剣呑な国際関係の中での憲法9条の是非だった。子や孫の世代は「令和」を生きる。鉄腕アトムが自由に空を飛ぶ時代は簡単に来そうにないが、明るい発想で次の時代を迎えたい。2019.5.8

人生のスタートとゴール

                         昭和48年1月の寒い日、福岡には雪が舞っていた。八代出身の私は、福岡の某大学防音教室で試験を受けていた。などと小説風に書いてみたが、兄貴がその大学の4年生に在籍しておりアパート風の粗末な下宿に泊めてもらって入試を受けたという話。首尾よくその大学に合格してそのまま兄貴に替わって入居した年が人生のスタートと言えるのかもしれない。 何しろ一人暮らしを経験したかった。熊本県内の大学だと八代から通わないといけなかったので、学費の安い県外の国立大学に入学する必要があった。その後大学を卒業し東京の会社に入り、さらに長崎のK大学に転職するなど楽あり苦ありで今に至っている。およそ半世紀の間に八代から福岡そして東京から長崎に移り住んで来た。長崎が一番長く住んでおり骨を埋める地なのだと思う。 卒業から40有余年。それぞれに子ができ孫もでき親が死去する年齢の一昨年、大学の頃のクラス会があった。健康に気をつけて2年後また会おうなと名残を惜しみつつ散会した。学生時代の仲間は一生ものだなと思いつつ、令和にくるだろう人生のゴールを考えたりもしつつ。2019.4.14

官公庁のコンプライアンスは?

                         コンプライアンスという言葉は、日本語で言えば「法令順守」である。特に企業に対して使われるが、官公庁には無縁なのだろうか。以前、消えた年金や障がい者雇用に関する問題が多発していた。その前にも、財務省のモリカケ問題では、すでに決裁した文書の改ざんを書き換えと言っていた。ことの重大さを取り繕うような「ミス」とか「不適切」などという官僚が多用する語彙にも非常に腹立たしい思いがある。確信犯的に知っていてやっていたに違いないのに、ちょっとしたミスなどと言う。 企業は一定数の障がい者雇用が為されていないと当該官公庁が判断したら、摘発され多額の反則金が課される。では官公庁は誰が摘発し誰に反則金を払うのか?最近では、厚生労働省による毎月勤労統計の不適切調査問題を巡り、鈴木俊彦厚労次官を訓告とするなど、厚労省幹部職員らの実に拙速な処分を発表したが事態はさらに紛糾している。厚労省の消えた年金や基幹統計の不適切調査等によって、今後も多大な迷惑を受け続ける国民はどうすれば良いのか。全てにいえることは官公庁にこそコンプライアンスが必要ということだろう。2019.2.8 投稿一覧へ 

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